常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

「案」

白川静『常用字解』
「形声。音符は安。案はものをおく台、‘つくえ’ をいう。のち書物をおいて考案すること、考察することに使うので、‘かんがえる’ことを案という」

[考察] 
 白川漢字学説には形声文字の説明原理がないので、すべて会意的に解釈する。会意的に説明がつかない場合は説明を放棄する。本項ではなぜ「安」なのかの説明がない。ただ音符と逃げている。
 我が国の白川以外の漢字学説を見てみよう。

「安は‘宀(やね)+女’の会意文字で、女性を家に落ち着けたさまをあらわす。案は‘木+音符安’の会意兼形声文字で、その上にひじをのせておさえる木のつくえ。按(上から下へとおさえる)―晏(日が上から下へさがる)と同系のことば」(藤堂明保『学研漢和大字典』)

ここにはなぜ「安」なのかの説明がある。安は上から下に押さえる意を含むからというのが藤堂の説。↓の方向に重力が働くと、下のものは上のものを乗せた状態になる。食器を載せる台や、腰を下ろしたり肘を掛ける木の台(床几など)は、そのような形態・機能をもつから、安と同音で・anという。安と案は同源の語である。
藤堂は案の意味の転化を次のように記述している。
①上からおさえて、もたれかかるつくえ。「机案」
②上から下へとおさえる。「案剣」
③あちこちおさえてみることから、よくかんがえる、しらべるの意。 「考案」

白川は「つくえに書物をおいて考案する」の意味が出たというが、案は書物 を読むための机の意味ではない。案と書物は何の関係もない。つくえ→書物をおく→考案するという意味展開はあり得ない。
一般に意味の展開は隠喩・換喩などのレトリックによることが多いが、コアイメージによる展開が漢語意味論の特徴である。
「安」のコアイメージは何か。藤堂の言う通り「上から下に押さえる」である(7「安」を見よ)。動揺・混乱など動きのあるものをある時点・地点で押さえて止めて、じっと落ち着かせるというイメージと言い換えてもよい。動きがあって定まらない物事を把握する場合、それのポイント(要点)や証拠などを押さえ止めて調べることを表す言葉を・anという。これを案と表記するのは、安に「押さえ止める」というイメージがあるからである。もちろん按という表記もありうる。安・案・按は同源関係にある言葉である。
「つくえ」と「よく調べる、考える」という意味は共通のコアイメージで結ばれている。  

「安」

白川静『常用字解』
「会意。宀は祖先の霊を祭っている廟の屋根の形。安は廟の中に女の人が座っている形で、嫁いできた新婦が廟にお参りしていることを示している。新妻が廟にお参りし、夫の家の祖先の霊を祭り、この家の氏族霊を受けて、夫の家の人になるための儀式を行っているのである。これによって新妻ははじめて夫の家の人として認められ、夫の家の祖先の霊に守られて、やすらかで平穏な生活ができるのである」

[考察]
形から意味を導く白川漢字学説が明確に述べられている解字である。
字の形は「宀+女」という極めて舌足らずな図形である。情報不足だが、解釈しようと思えば何とでも解釈できる。屋根の下に女がいる形と解釈するのは誰にでもできる。これがなぜ「やすらか」という意味と結びつくかを説明するために、白川は、新妻が廟にお参りする→夫の家の氏族霊を受けてその家の人と認められる→祖先の霊に守られて平穏な生活ができる→やすらかと意味展開をさせる。わずかな情報から壮大な(?)物語を作り出した。
確証のない古代習俗を想定して漢字を解釈するのか、あるいは逆に、漢字の解釈をこんな習俗の証拠にしようとするのか、どちらとも言えないが、空想の産物としか思えない。
字源が難解であったり、あまりに単純で舌足らずであったりする場合は、語源を先に検討する必要がある。その前に具体的文脈における使い方を見なければならない。具体的文脈における使い方こそ意味(語の意味)である。

安は次のような使用例がある。
①原文:喪亂既平 既安且寧
 訓読:喪乱既に平らぎ 既に安らかにして且つ寧し
 翻訳:戦乱は既に平定され 世はやすらかに落ち着いた――『詩経』小雅・常棣

②原文:將安將樂 女轉棄予
 訓読:将に安んじ将に楽しむとき 女(なんじ)転じて予を棄つ
 翻訳:心やすらぐ今になって あなたはかえって私を棄てた――『詩経』小雅・谷風

混乱などの無秩序の状態、あるいは動揺して不安定な状態がじっと定まり落ち着くことが安の使い方(意味)であることは明白である。社会のレベルから個人の生活や心理のレベルまで安を使うことができる。安の語感には宗教的、神秘的なにおいは全くない。神(祖先の霊魂)によって安らぎを得るのではなく、自らの力で自然に平安の状態になることである。じっと落ち着いて動かない状態が安だから、「たいら」「しずか」「おだやか」などを意味する語と近い。だから平安、安静、平穏などと結びつく。

古典の注釈に「安は靜なり」「安は定なり」「安は止なり」などの訓がある。これは同源関係を述べたのではなく、意味のイメージを捉えたもの。安は一所にじっと定まり止まるというイメージである。その前提には動きがある。動いて一定しないものがある時点・地点で動きを止めて落ち着いた状態になることが安である。
・anという語のコアイメージは何であろうか。コアイメージを捉えるのが語源の研究である。王力(現代中国の言語学者)は安・按・遏・圧などを同源とし、押さえ止めるという意味があるという(『同源字典』)。また藤堂明保は安は按(上から下へ押す)・案(ひじを落ち着ける机)・遏(押さえてとめる)と同系のことばという(『学研漢和大字典』)。
動くものがある段階で動きを止めるのは、そのものに一定の力が働いてストップすると考えることができる。これを言語のイメージで捉えると、「上から押さえる」というイメージが「ある所で動きが止まる」というイメージに展開したと考えてよい。したがって「上から下に押さえる」が・anのコアイメージとすることができる。このコアイメージが具体的な文脈で実現されたのが「混乱・動揺・危険な状態が押さえられて止まり、じっと静かに落ち着く」という意味である。ちなみに「手に力をかけて押さえる」という動詞的な用法は按摩の按で造形された。また時刻が遅くなることが晏であるが、この図形の意匠は太陽を擬人化して、日が西の空の下に落ち着く情景を暗示させている。
ここで安の字源に立ち返ると、「宀(いえ)+女」を組み合わせて、女が家の中にいる情景でもって、・anという語を表記したものである。これ以上の深読みはしない方がよいだろう。深読みすると何とでも解釈がつく。
 

「圧」
正字(旧字体)は「壓」である。

白川静『常用字解』
「会意。厭と 土とを組み合わせた形。厭(たる、いとう)は犬の骨つきの肉([曰+月])を厂(崖の形)の下におき、土地のお祓いをする意味で、これを厭勝(まじない)という。壓は土地に対して厭勝を行い、まじないの力で土地にひそむ邪気を押さえ、土地を祓い清めることをいい、‘おさえる、しずめる’の意味となる」

[考察]
 『説文解字』以来、厭を音符とする形声文字とするのが通説だが、白川漢字学説は形声の説明原理を持たないため、会意的に説く。もし会意で説けない場合は解釈を放棄する。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の最大の特徴である。白川はこの方法を「字形学」と称している。しかし字形が意味を表すだろうか。

意味とはいったい何か。白川漢字学説ではこれの定義がない。言語学では意味は言葉(記号素)の二要素の一つとする。音と意味の合体したものが言葉(記号素)である。要するに意味とは言葉の意味である。
意味は脳に貯えられる観念(概念・イメージ)である。この観念は音波という物質(物理現象)と分かち難く結ばれている。意味だけがあるわけでも、音だけがあるわけでもない。二つが結合してはじめて言葉が成り立つ。
言葉は聴覚的な記号である。目に見えない。目に見えない記号を視覚的記号に変換したものが文字である。これは図形であり、目に見える。言葉と文字は性質の全く異なる二つの記号であるが、文字の前提に言葉がある。 歴史的にも論理的にも文字より言葉が先である。
言葉の学問として言語学がある。言語の表記を扱う分野に文字論がある。文字論は言語学という学問の一つの分野と理解すべきである。
ところが中国では古くから文字と言葉が混同されてきた。漢字は言葉だと勘違いされた。だから漢字の研究が先に始まり、言葉(漢語)の研究は非常に遅れた。文字と言葉の関係が現在に至るまで曖昧のままである。文字と言葉が混同されている限り、正しい学問はあり得ない。
白川漢字学説は言葉と文字を混同した最後の最大の学説である。

さて白川は厭を「犬の骨つき肉を崖の下におき土地のお祓いをする」の意味としているが、図形的解釈をそのまま意味としている。図形の解釈と意味は同じではない。だいたい形に意味があるはずもない。
そもそも犬の骨つき肉を崖の下に置くとは何であろうかという疑問も湧く。この行為が土地のお祓いになるのかも疑問である。
厭と土を合わせた壓は「土地に対して厭勝を行い、まじないの力で土地にひそむ邪気を押さえ、土地を祓い清める」の意味だという。これも図形的解釈と意味が混同されている。壓の意味はただ「押さえる」だけである。他はすべて余計である。図形的解釈を意味に置き換えると余計な意味素が紛れ込む。意味とは言葉の意味であり、具体的文脈に現れた語の使い方である。

では古典で壓はどのように使われているかを見よう。『春秋左氏伝』に次の文章がある。
 原文:仲壬夢天壓己弗勝。
 訓読:仲壬、天の己を壓して勝(た)へざるを夢みる。
 翻訳:仲壬[人名]は天が自分を押さえつけて耐えられなかった夢を見た――『春秋左氏伝』昭公二年
古典の注釈では「壓は鎮なり」「壓は抑なり」「上より下に加ふるなり」などの訓がある。「(上から下に)押さえつける」という意味であることは明白である。

白川漢字学説とは全く違う方法で壓を解釈してみよう。
「厭(音・イメージ記号)+土(限定符号)」と解析する。厭は「猒(音・イメージ記号)+厂(イメージ補助記号)」と解析できる。更に猒は「肰+甘」と分析できる。肰は「肉+犬」で、然の上部と同じ。甘は物を口に入れる形。したがって猒は犬の肉を味わう情景を設定した図形である。古代では犬は食用とされたらしい(古典に犬羹[犬のあつもの]という語がある)。「食べ飽きる」「飽きる」という意味をもつ語を図形に表したのが猒である。
猒に厂を添えて厭が作られた。厂は覆いや蓋をかぶせることを表すための補助記号である。なぜこんな記号をつけたのか。それは「いやになる」という意味をもつ・iamという語を表記するためである。食べ飽きていやになる状況を作り出すために「猒+厂」の図形が考案された。
いやになるほど食べ飽きるのは満腹の状態である。いっぱい詰まって圧迫感のある状態である。だから「食べ飽きる」のイメージから「何かの圧力がかかって押さえつける」というイメージが生まれる。古典漢語では後者を表す言葉は・iapである。かくて・iam(食べ飽きる、いやになる)も・iap(押さえつける)も厭の図形で表記された。前者は厭戦の厭(エン)、後者は厭勝の厭(エフ→ヨウ)である。
ここまで来ると壓の説明は容易である。「何かの圧力がかかって押さえつける」というイメージに特化し、「厭+土」を合わせて、土で押さえつける場面(情景)を作り出したのが壓である。意味は土とは何の関係もない。重力や圧力など上から来る何らかの力を暗示させるのが土である。場面作りのための比喩として土が選ばれた。限定符号を重視すると、土地を祓い清める意味といったあり得ない意味も生まれる。

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