「芸」
正字(旧字体)は「藝」である。

白川静『常用字解』
「会意。音符は埶ゲイ。古い字形には苗木を両手で捧げ持つ形や苗木を土に植え込む形で、会意の字であった。埶は草木を“うえる” の意味であった。草木に関することであるから草かんむりを付けて蓺となり、のち云を加えた藝の字となった。のち“わざ、技芸”の意味にも使う」

[考察]
藝は埶が音符というからには形声であろう。埶は会意である。
埶→蓺→藝と展開したというのは正しい。ただ「植える」と「わざ」の関係がはっきりしない。
「植える」から「わざ」への意味展開を理解する鍵はコアイメージという概念である。白川漢字学説は言葉という視点がなく、したがって言葉の深層構造を捉える発想がなく、コアイメージという概念もない。意味展開を合理的に説明する方法を欠くのが白川漢字学説の特徴である。
言葉という視点から藝を見、意味展開を探って見よう。
古典に次の用例がある。
①原文:蓺麻如之何 衡從其畝
 訓読:麻を蓺(う)うるに之を如何せん 其の畝を衡従にす
 翻訳:麻を植えるにはどうすべき 縦横に畝をまず作る――『詩経』斉風・南山
②原文:吾不試、故藝。
 訓読:吾試(もち)ゐられず、故に芸あり。
 翻訳:私は才能が用いられなかったので、やむなく技能を身につけた――『論語』子罕

①は草木を植えて育てる(栽培する)の意味、②はわざ・技能の意味で使われている。これを意味する古典漢語がngiad(ngiɛi、呉音ではゲ、漢音ではゲイ)である。これを代替する視覚記号として蓺(藝)が考案された。埶が最初の図形である。埶は「坴+丮」と分析できる。坴は「屮(くさ)+六(土を盛り上げた形)+土」の組み合わせで、盛り上げた土の上に草が生えている情景。陸の右側と同じ。丮は両手を差し出す人の形で、執・塾では丸、恐・築では凡に変形する。埶は「植物に手入れをしている情景」というのが図形的意匠で、植物に手を加えて育てることを暗示させている。ここに「自然のものに手を加えて形の良いものに整える」というイメージがある。ngiadという言葉のコアにあるイメージはまさにこれである。
このコアイメージが表層に現れて実現される意味が①である。また、自然のものに手を加えて良い形のものに仕上げる手段・技能という意味が生まれる(技芸・手芸の芸)。これが②である。さらに、人間の質を良いものにするわざという意味に展開する。これが学問や教養の意味であり、芸術・文芸の芸である。
さて字体は埶→蓺→藝と変わった。蓺は「埶ゲイ(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」、藝は「埶ゲイ(音・イメージ記号)+云(イメージ補助記号)+艸(限定符号)」と解析する。なぜ云を加えたのか。云は耘(くさぎる、雑草を取る)に含まれる字で、植物栽培の意味を添えるため付け加えられた。