「劇」

白川静『常用字解』
「会意。豦キョと刂(刀)とを組み合わせた形。豦は虎の頭をした獣の形であるが、これは模擬的な儀礼を行うために虎の皮を身に着けて、人がその役を演じている姿である。この人を刀で斬りつけて、悪虐の者を討伐する演戯が神前などで行われた。それは戦勝を祈る儀礼であったのであろう。そのときの演戯の動作が劇しかったので、劇は“はげしい”の意味となる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意的に説く特徴がある。会意とはAの意味とBの意味をプラスした「A+B」をCの意味とするもの。豦(虎の頭をした獣→虎の皮を着けて役を演じる姿)+刀(かたな)→虎の皮を着けた人を刀で斬りつける演技→はげしい演技の動作→はげしい、と意味を展開させる。
ここで疑問。「虎の頭をした獣」でもって「虎の皮を身に着けて演技をする人」という意味に取ることができるだろうか。また、「豦+刀」から悪虐の者を討伐する演技という意味が出てくるだろうか。その演技の動作がはげしいから「はげしい」の意味になったというが、必然性がない。
字形から意味を導く方法に限界がある。むしろその方法は誤りと言ってさしつかえない。なぜなら意味は字形に属するものではなく、言葉に内在する観念だからである。言葉(記号素)は音と意味の二要素の結合したものというのが言語学の定義である。
意味は字形から探るべきものではなく、古典に使われた文脈から把握するものである。劇は次の用例がある。
①原文:病以侵劇。
 訓読:病以て侵劇す。
 翻訳:病気は段々ひどくなった――『潜夫論』思賢
②原文:材劇志大、聞見雜博。
 訓読:材は劇にして志は大に、聞見雑博なり。
 翻訳:才能は有り余り、志は大きく、知識は広い――『荀子』非十二子

①は働きや勢いが甚だしい(はげしい)の意味、②は物事が多すぎて煩わしい意味に使われている。これらの意味をもつ古典漢語がgiăk(呉音ではギヤク、漢音ではケキ)である。これを代替する視覚記号として劇が考案された。
劇は「豦キョ(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」と解析する。豦の図形については、『説文解字』で「虍に従ひ、豕に従ふ。豕虍の闘ひて解けざるなり」と解釈したのが参考になる。トラとイノシシが戦う場面を設定した図形であって、力と力がぶつかる様子を暗示させている。豦は「激しく力を出す」というイメージ、また「力を頼みとする」というイメージを示す記号になりうる(339「拠」を見よ)。かくて劇は「戦闘の場面で、甚だしく力を用いる(はげしく力を出す)情景」というのが図形的意匠である。これによって①の意味をもつgiăkを表記する。
①は最初の意味で、②は転義である(文献は①よりも②が古いが、意味の論理的展開は①②の順)。また「はげしい」というイメージからきつい冗談を言う(たわむれる)という意味を派生し、ここから芝居の意味が生まれた。この転義現象は戯が冗談を言う(たわむれる・たわむれ)の意味から芝居の意味に転じたのと似ている。