「犬」

白川静『常用字解』
「象形。犬の形。“いぬ” をいう。猟犬として使われたらしい逞しい犬の形に書かれている」

[考察]
「犬」という字形が「いぬ」を意味するのではなく、「いぬ」を意味する古典漢語kuen(呉音・漢音でクヱン)を視覚記号化したのが「犬」である。実際に言葉が使用される(発話される)際、動物や家畜の類と推測される文脈で、kuenという音が「いぬ」のイメージを喚起する。犬という図形が直接「いぬ」を意味するのではなく、kuenという音を媒介することによって犬とkuenを対応させ、「いぬ」という意味を理解するのである。
以上は犬が単独の語(記号素)として使われた時代の話である。現代では音が変化し中国ではquăn、韓国では견、日本ではケンと読むが、これらは単独の語として使われない。古典では次のように単独語として使われた。
 原文:躍躍毚兔 遇犬獲之
 訓読:躍躍テキテキたる毚兔ザント 犬に遇へば之を獲ん
 翻訳:逃げ足の速い兎も いぬに会ったら捕まるよ――『詩経』小雅・巧言

イヌをkuenというのは恐らく擬音語であろう。現代中国のquănは変容が甚だしいが、韓国の漢字音はキョンであり、これは擬音語らしい特徴をよく残している。