「憲」

白川静『常用字解』
「形声。音符はA(ケン)。Aの上部は害の上部と同じく、把手のついた大きな針の形。この針で目の上に刑罰として入れ墨を加える字がAで、刑罰の意味となる。Aが憲のもとの字で、憲は刑罰によってことを正す“おきて、法” の意味となる」
A=[憲-心](憲から心を省いた部分)

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、すべて会意的に説く特徴がある。針+目→針で目の上に刑罰の入れ墨をする→刑罰という意味を読む。次に憲はA+心→刑罰によってことを正すおきて・法の意味となるのであろうが、心の説明がない。
刑罰の意味からおきて・法の意味が出てくるだろうか。罪を防ぐおきてがあるから、それを犯すことに対する処罰があるのではなかろうか。法と刑罰は別物であって、刑罰の意味が法の意味に転じるというのは変である。
白川漢字学説には言葉という視座がない。言葉の深層構造を捉える視点がない。字源の前に言葉の深層構造を求める語源がなくては、字源も半端なものになる。

憲の語源に言及しているのは藤堂明保である。藤堂は害のグループ(害・轄)、 匃カイのグループ(遏・謁)、憲、閑、干のグループ(干・扞・閈・訐・奸)、諫・姦などが同源の単語家族に属し、KAT・KANという音形と、「ふさぎ止める」という基本義があるという。そして「憲法の憲とは人間の勝手な言行心慮をおさえ止めるきまり、との意味であ」ると述べている(『漢字語源辞典』)。
憲がどのように使われているか、実際の用例を古典に尋ねよう。
①原文:古之聖王發憲出令、設以爲賞罰。
 訓読:古の聖王憲を発して令を出だし、設けて以て賞罰を為す。
 翻訳:昔の聖王は法令を発布して賞罰を設けた――『墨子』非命
②原文:文武吉甫 萬邦爲憲
 訓読:文武なる吉甫 万邦憲と為す
 翻訳:文武に秀でた尹吉甫 よろずの国のかがみとなる――『詩経』小雅・六月

①は決まり・おきての意味である。決まりはのり(法、典)であり、誰もがそれに従い倣うものであるから、模範・手本という②の意味が生まれる。文献的には②の『詩経』が古いが、意味は明らかに①から②へ展開したものである。人間(個々人)の勝手な行動を制するものが「おきて」である。これは現代でも通じる考えであろう。一方、国家のレベルで勝手な行動・行為を制する最高の「おきて」「きまり」という意味が生まれる。国家のレベルで勝手な行動・行為をするのは民の上に立つ人、支配者側の人間である。これを制約する大法を憲という。もっともこのような法の概念が発生したのは近代になってからである。
①②の意味をもつ古典漢語がhiăn(呉音ではコン、漢音ではケン)である。これを代替する視覚記号として憲が考案された。これはどんな意匠をもつ図形か。ここから字源の話になる。

憲は「害の略体(音・イメージ記号)+目+心(ともにイメージ補助記号)」と解析する。害の深層構造にあるのは丯カイという記号である。丯は縦線に切り込みを入れる記号である。契(刻む)という字にも含まれている。図示すると―|―|―|―のような形であるが、―|―の部分に注目すると、―↓―の形に切れ目をつける(断ち切る)というイメージ、←|→の形に二つに分けるというイメージが捉えられる。また、―|の部分に焦点を置けば→|の形に遮り止めるというイメージにもなる。イメージは視点の置き所によってさまざまに転化する。害は「途中で遮って、そこでストップさせる」というイメージを表す記号である(170「害」を見よ)。目は視覚、心は精神であり、見たいという欲望、何かをしたいという欲望、一般に人間の飽くなき欲望を目と心で代表させる。したがって欲望に従って勝手な行動・行為をすることを遮り制止するために設ける枠、これを外れてはならないとする規範を表すため、憲という図形が考案された。この図形的意匠でもって、上記のhiănを表記する。