「賢」

白川静『常用字解』
「形声。音符は臤ケン。臤は臣(大きな瞳)の又(手の形)を入れる形で、眼睛を傷つけて視力を失わせることをいう。このような方法で視力を失った者が臣(しもべ)で、神に捧げられ、神に奉仕する者であった。臣の中には普通の人とは異なって、さまざまのすぐれた才能を持つ者がおり、その人を臤という。臤が賢のもとの字。 臤に貝を加えた形の賢は高価という意味になるのであろうが、臤に代わって“かしこい、まさる、すぐれる”の意味に使われるようになった」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がないので、すべての漢字を会意的に説く傾向がある。会意とはAの意味とBの意味を足したA+BをCの意味とするもの。ここには言葉という視座はない。純粋に形から意味を引き出す。
臣(大きな瞳)+又(手)→目玉に手を入れて傷つけ視力を失わせる→失明したしもべ。神に奉仕する者。
臤 (すぐれた才能を持つ者)+貝(貴重な貝、貨幣)→賢(高価)
という具合に意味を展開させる。
疑問点①失明させる方法として目玉に手を突っ込むということがありうるだろうか。②わざわざ視力を奪ってまで神の奉仕者にするだろうか。③失明した者が普通人とは違って才能があると言えるだろうか。偶然の要素が強い。④臤に「視力を奪われて神に奉仕する者」「さまざまのすぐれた才能を持つ者」という意味があるだろうか。⑤賢に高価という意味があるだろうか。
疑問だらけの字源説である。字形から意味を求める学説には限界がある。存在しない意味が作られる可能性がある。意味とは言葉の意味であって、字形にあるのではない。言葉が使われる文脈から判断され理解されるものである。賢は次のような用例がある。
①原文:舍矢既均 序賓以賢
 訓読:矢を舎(はな)ち既に均し 賓を序するに賢を以てす
 翻訳:矢を放って一巡り 客の序列は技の優劣で決める――『詩経』大雅・行葦
②原文:賢哉回也。
 訓読:賢なる哉回や。
 翻訳:聡明だね、顔回は――『論語』雍也

①は技能がすぐれている(まさる)の意味、②は才知がすぐれている(利口である、かしこい)という意味で使われている。この意味を持つ古典漢語がɦen(呉音ではゲン、漢音ではケン)である。これを代替する視覚記号として賢が考案された。
賢は「臤ケン(音・イメージ記号)+貝(限定符号)」と解析する。臤は「堅く引き締まる」というイメージがある(その詳しい説明は391「緊」、472「堅」を見よ)。「堅く引き締まる」というイメージは「いっぱい詰まる(満ちる)」というイメージに転化する。「締まる」「詰まる」「満ちる」は古典漢語の意味論においては相互転化可能なイメージである。貝は比喩的限定符号で、意味の中に参画する記号ではない。図形的意匠を作る際に、具体的な場面を設定するために使われる記号である。これも限定符号の働きの一つ。かくて貝に関わる場面が設定され、財貨がいっぱい充実している情景という意匠が作られた。これが賢である。この図形的意匠によって、価値あるものが豊かにあることが暗示され、上記の①の意味「技能が優れている」、②の意味「才知が優れている」という意味を持つɦenを賢で表記するのである。