「験」
正字(旧字体)は「驗」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は僉セン。僉は二人がそれぞれ祝詞を入れる器のᆸを捧げて、並んで舞い祈る形。その祈りに応えて、しるし、きざしのあらわれることを験という。馬を字の要素とするのは、馬は霊気を感じやすい動物とされ、馬を使って神意をためす儀礼があったものと思われる。それで験は“ためす、しらべる”の意味となる」

[考察]
僉の解釈の疑問については465「倹」で述べた。
意味の疑問もある。「しるし、きざしが現れる」と「ためす、しらべる」には何の関係があるのか不明。また「馬を使って神意をためす」とはどういうことか。理解しがたい。
白川漢字学説は字形から意味を引き出すことを文字学の方法とし、これを「字形学」と称している。これは正しい方法だろうか。言語学から外れていると言わざるを得ない。文字論は言語学の一分野である。
言語学では言葉(記号素)は音と意味の結合体であり、意味は言葉に内在される概念と定義される。だから意味は字形にあるのではなく言葉にある。その意味を知るには具体的文脈がなくてならない。文脈がなければ意味の取りようがない。験はどんな文脈で使われているかを調べてみよう。
 原文:案法式而驗得失。
 訓読:法式に案じて得失を験す。
 翻訳:法令に照らして損得を確かめる――『管子』明法解

験は善し悪しを確かめる、証拠があるかを調べるという意味で使われている。この意味をもつ古典漢語をngiam(呉音・漢音ではゲム)という。これを代替する視覚記号が驗である。
驗は「僉セン(音・イメージ記号)+馬(限定符号)」と解析する。僉は「(いろいろなものを)一か所に集める」「一か所に引き締める」というイメージがある(465「倹」、473「検」を見よ)。馬は比喩的限定符号である。限定符号は一般に意味素の中に入らないことが多い。ただ図形的意匠を作るための具体的場面設定の働きがあるだけである。驗は馬に関する場面、特に調教の場面が設定される。調教する際、馬に関する情報を集め、善し悪しを比べて調べる。このような場面を図形化したのが驗である。この図形的意匠によって、いろいろな事実を集めて突き合わせ、善し悪しを確かめることを意味するngiamを表記する。
意味は②事実であるかどうかを示す証拠の意味、③効き目・効果の意味、④きざし・しるし(徴候)の意味に展開する。④の意味は遅れて現れる。白川は④を最初の意味としている。