「懸」

白川静『常用字解』
「形声。音符は縣。縣は首を逆さまにして木に紐でぶら下げている形で、“かける、つりさげる” という意味がある。縣に心を加えて、あることに心を繫けて懸念する感情をいう」

[考察]
ほぼ妥当な解釈であるが、難点は字形から意味を引き出す逆立ちの字源説ということだ(これの批判については464「県」を見よ)。
古典で懸は次のような用例がある。
①原文:猶懸牛首于門而賣馬肉于内也。
 訓読:猶牛首を門に懸けて馬肉を売るがごときなり。
 翻訳:牛の頭を門に懸けて、店内では馬肉を売るようなものだ――『晏子春秋』内篇・雑下
②原文:戰而不勝、命懸於趙。
 訓読:戦ひて勝たず、命は趙に懸かる。
 翻訳:戦争に負けて、命は趙にかかっている――『戦国策』斉策
③訓読:不得還問、懸心。
 訓読:還(また)問ふを得ざれば心を懸く。
 翻訳:もう質問する機会がないから気にかかることだ――王羲之「雑帖」

①は途中でひっかかる(宙吊りになる、ぶら下げる)の意味、②は何かにひっかけて預ける意味、③は心にひっかかる意味で使われている。①はもともと縣が視覚記号であった。縣が行政単位の名に転用されたため、①に対応する視覚記号として懸が考案された。
懸は「縣(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。なぜ心を限定符号としたのか。限定符号は意味領域に関係する場合と、図形的意匠作りのための場面設定という働きがある。「途中でひかかる」の意味を暗示させる図形的意匠を作るため、精神・心理の場面を想定し、心に何かがひっかかるという状況を作り出した。「ぶら下がる(ひっかかる)」は空間的なイメージだが、心理的なイメージにも応用できる。こうして作られた懸いう図形で①を表すようになった。心は比喩であったが、文字通り心の領域に属する意味③)が後に生まれた。