「玄」

白川静『常用字解』
「象形。糸たばを拗った形。白色の糸たばを拗って染汁の入った鍋に漬けて染め、黒色になった糸で、玄は“くろ” の意味となる」

[考察]
糸束を拗る形から、白色の糸束を拗って鍋に漬けて黒色に染めるという行為と解釈できるであろうか。読み過ぎと思われる。これは「くろ」の意味を導くための予定された解釈である。玄は黒色の意味があるが、黒色の由来は染め糸ではなく、「暗い」というイメージに由来する。玄は「暗くてよく見えない」というコアイメージがあり、これから「くろい」の意味が実現されるのである。
古典における玄の用例を見てみよう。
①原文:此兩者同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門。
 訓読:此の両者は同じく出でて名を異にす、同じく之を玄と謂ふ、玄の又玄、衆妙の門。
 翻訳:この二つ[道の二つの相]は同じ所から出たが名が違うだけ。だから[道は]玄(暗く奥深いこと)と呼ばれる。奥深い上にまた奥深い。これぞあらゆる物を生み出す門だ――『老子』第一章
②原文:何草不玄 何人不矜
 訓読:何の草か玄(くろ)まらざる 何の人か矜キンならざる
 翻訳:黒くしなびぬ草はない 哀れでない人はいない――『詩経』小雅・何草不黄

①はかすかでよく見えない(奥深い)の意味、②は黒い、黒色の意味である。文献的には『老子』よりも『詩経』が古いが、論理的には①から②へ転義したと言える。「暗くてよく見えない」というイメージから黒いという意味が生まれる。古典漢語では①②の意味をもつ言葉をɦuen(呉音ではグヱン、漢音ではクヱン )という。これを代替する視覚記号として玄が考案された。
古人は「玄は幻なり」「玄は懸なり」の二つの語源意識をもっていた。幻は「よく見えない」というイメージ、懸は「空中に宙吊りになる」というイメージである。二つは何の関係があるのか。空中に宙吊りになることから、遠く懸け離れるというイメージが生まれる(懸絶・懸隔の懸)。遠く懸け離れるというイメージから、遠く微かでよく見えないというイメージに転化する。このようなイメージ転化があるので「空中に宙吊りになる」と「(かすかで)よく見えない」という二つのイメージがɦuenという語にあると考えられる。このイメージを図形化したのが玄である。
玄の字源説は定説がない。ɦuenの図形化ということから逆に玄を解釈すると、幺(小さい糸)の上に 「⁀」の符号をつけた図形である。つまり宙吊りになった細い糸がゆらゆらしてよく見えない情景を設定した図形と解釈する。そうすると「宙吊りになる」と「かすかでよく見えない」のイメージを同時に暗示させることができる。
①は「かすかでよく見えない」→暗い→奥深いと展開した意味。②は暗い→黒いと展開した意味である。「宙吊りになる」のイメージは弦・絃・舷で実現された(490「弦」を見よ)。