「限」

白川静『常用字解』
「会意。阜と目と匕とを組み合わせた形。阜(阝) は神が天に陟り降りするときに使う神の梯の形。そこは神聖な場所であるから、邪悪なものが立ち入らぬように目(人に呪いをかけ、災いを与える力を持つ呪眼)を掲げておくと、そこから人は入ることができないため退くので、後ろ向きの人(匕の形)をその呪眼の下にかいた形が限である。ここを極限の所として中に進むことができないので、限は“かぎる、かぎり”の意味となる」

[考察]
疑問点①神が天に上り下りする梯とは何であろうか。そんなものが実在するだろうか。天地をつなぐ梯とは神話にある天柱のようなものか。②呪眼を掲げるとはどういうことか。目玉の絵を描いた板あるいは布を掲げるのか。空想的な場所に板や布という物体を掲げることができるのか。③眼・根では艮を音符とする形声文字としている。不統一ではないか。艮が一つのまとまりのある記号であることは明らかである。
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。限を三つの要素に分け、神聖な場所(阜)に掲げた呪眼(目)の下で人(匕)が後ろ向きに退く形から、「かぎる」の意味を導く。
いったい意味とは何か。言葉の意味であることは言語学の常識である。言語学では言葉(記号素)は音と意味の結合した記号と定義される。意味は言葉に内在する観念である。言葉以外で意味を云々するのは比喩であるか、または、言葉を使った解釈に過ぎない。言葉(聴覚記号)を別の記号(視覚記号)に切り換えたのが文字であるから、文字は言葉を離れることはできない。意味を文字の形から導くのは間違った方法である。
では意味はどのようにして知るのか。言葉が使われている文脈から判断し理解するのである。限は次のような文脈で使われている。
 原文:限之以鄧林。
 訓読:之を限るに鄧林を以てす。
 翻訳:境界を鄧林までと区切った――『荀子』議兵
限はここまでと境界を仕切る意味で使われている。これを意味する古典漢語がɦăn(呉音ではゲン、漢音ではカン)である。これを代替する視覚記号が限である。
限は「艮コン(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」と解析する。艮は「じっと止まる」「いつまでも消えない痕を残す」 というイメージを示す記号である(詳しくは252「眼」を見よ)。阜は積み上げた土の形で、盛り土・段々や山・丘などと関係があることを示す限定符号である。したがって限は盛り土をして、いつまでも残る境界線をつける情景を設定した図形。この意匠によって、上記の意味をもつɦănを表記する。