「厳」
正字(旧字体)は「嚴」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は𠪚(ゲン)。𠪚が厳のもとの字。厂は崖の形。敢は杓で鬯酒(祭りに使う香りのついた酒)を汲みとり、祭祀の場所を清める儀式を示す。神の住むと考えられた岩場で、ᆸ(祝詞を入れる器)を二つ並べ、神を招く儀礼を、慎んで厳かに行うことを厳といい、“つつしむ、おごそか、いかめしい、きびしい” の意味となる」


[考察]
敢の解釈の疑問については224「敢」、251「岩」でも述べている。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、言葉という視座を欠いているのが難点である。字形の解釈をそのまま意味とするので、意味に余計な意味素が混入する、あるいは、あり得ない意味が作り出される。厂(崖)+敢(祭祀の場所を清める儀式)+吅(祝詞を入れた器を二つ並べる)→神の住むと考えられた岩場で神を招く儀礼を慎んで厳かに行うという意味を導く。この意味から「つつしむ」などの意味に転じたという。
神が岩場に住むというのも理解しがたい。「限」では阜が神が天に上り下りする梯とされ、神が天に住むことは予想されている。

意味とは何か。「言葉の意味」であることは言語学の常識である。言語学では言葉(記号素)は音と意味の二要素から成ると定義される。意味は言葉に内在する観念である。
嚴を言葉という視点から見てみよう。古典では次のような用例がある。
 原文:赫赫業業 有嚴天子
 訓読:赫赫たり業業たり 厳たる天子有り
 翻訳:威武盛んに気負い立つ まことに厳かな天子様――『詩経』大雅・常武

厳は人を威圧するさま(威があって犯しがたい、いかめしい、おごそか)の意味で使われている。これを古典漢語ではngiăm(呉音ではゴム、漢音ではゲム)という。これを代替する視覚記号として考案されたのが嚴である。
嚴を分析すると「𠪚+吅」、𠪚を分析すると「敢+厂」となる。敢→𠪚→嚴と発展し、敢がコアイメージの源泉を提供する記号である。強い力や固い意志をもって困難を押しのけて行動する(思い切ってやる、やる勇気がある)ことで、「強く固い」というイメージがある(224「敢」を見よ)。これは心理的なイメージだが、物理的なイメージにも転用される。𠪚はごつごつと固く角立った石である。嚴では再び心理的なイメージが現れる。吅(ケン)は口を二つ並べて、口やかましく言うことを表す(喧嘩の喧と同じ)。「𠪚ガン(音・イメージ記号)+吅(イメージ補助記号)」を合わせた嚴は、どげとげしく角のある口調で相手を威圧する情景を暗示させる。この図形的意匠によって、強く押し出して人を威圧することを意味するngiămを表記する。