「己」

白川静『常用字解』
「象形。直角に曲がった定規に似た器の形。定規や糸巻きに用いるものであろう。“おのれ” という意味に用いるのは、その音だけを借りて用いる仮借の用法である」

[考察]
糸巻きに用いる定規に似た器とは何だろうか。「紀」の項では「己は紀のもとの字であろう」とある。そうすると己は「糸巻きに糸を捲き取る(おさめる)」という意味になるだろうが、こんな意味はない。殷代では序数詞、周代になると「おのれ」の意味に用いられている。白川はそれらを仮借的用法としているが、言葉の深層構造を見る視点に立てば、それらの意味をなぜ己の図形で表されるかの理由がわかる。

己については151「改」、268「紀」、272「記」、273「起」でも触れている。己の字源説は諸説紛々で定説はないが、筆者は伏せたものが次第に起き上がって、はっきりとした姿を現す様子を示す象徴的符号と解釈している。「象徴的符号」という考えは、六書という漢字の造形法では指事に当たるかもしれない。具体物を象ったのが象形なら、指事は物の姿ではなく事態・状態のイメージを図形化したものである。
「伏せたものが次第に起き上がって、はっきりとした姿を現す」というイメージは「(伏せたものが)起き上がって目立つ印を現す」と言い換えてもよい。ここから「起こり始め(起点)」と「目立つもの(目印)」というイメージに展開する。
古典漢語では「自分、おのれ」を意味する言葉をkiəg(呉音ではコ、漢音ではキ)といい、己と表記した。この理由を説明できないと仮借説に逃げるほかはない。自分とはどういうものか。自は「そのものを起点として」(みずから、おのずから)という意味の副詞であって名詞ではない。自分そのものを指す言葉がkiəg(己)である。ということは自分とは他の何ものにもよらず自分自身を起点とする存在ということになる。己は「起点」というコアイメージをもつ言葉なのである。