「古」

白川静『常用字解』
「会意。十は干(長方形の盾の形)を省略した形。口はᆸで、祝詞を入れる器の形。この上に聖器としての干(たて)を置いてᆸを守り、祈りの効果を長い間保たせることを古といい、“ふるくからのもの、ふるい、むかし、いにしえ”の意味となる」

[考察]
「感」の項では咸が「戉(鉞)+ᆸ」 で聖器をᆸの上に乗せて祈りの効果を中に閉じ込め守る意味とあり、本項では「干(たて)+ᆸ」で祈りの効果を長い間保たせることという。同じような構図だが、鉞と盾でなぜ違いがあるのか、理由が分からない。また、祈りの効果を「長い間」保たせる場合の時間はいくら何でも長期ではあるまい。古代の古(いにしえ、むかし)の意味になるというのは理屈に合わない。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、字形から意味を読むのはひずみが生じる。図形的解釈をストレートに意味とするから、意味に余計な意味素が混入する。ひどいことになるとあり得ない意味が作り出される。字形から意味を導くのは誤った方法と言わざるを得ない。
では意味はどこにあるのか。言葉にある。言葉が使われる文脈にある。意味は文脈があって初めて知れるものである。古は次の用例がある。
 原文:自古有年
 訓読:古自(よ)り年有あり
 翻訳:昔から豊作だった――『詩経』小雅・甫田
古は時間のたった過去(いにしえ、むかし)の意味で使われている。この意味をもつ古典漢語をkag(呉音ではク、漢音ではコ)という。これを代替する視覚記号として古が考案された。古はどんな意匠がこめられた図形か。ここから字源の話になるが、語源を先に考えないと半端なものになる。 つまり恣意的な解釈に陥りかねない。字源は語源によって制約されるのである。
「古は故なり」「故は固なり」が古人の語源意識である。固のコアにあるのは「固い」というイメージである。これは古のコアイメージから来ている。このイメージは何から発想されたのであろうか。おそらく生命体が死ぬことから発想されたイメージである。生体が生気を失うとひからびて固くなる。この状態には当然「時間がたってふるくなる」というイメージが含まれる。このように「時間がたっている」というイメージは「固い」というイメージと関係がある。
一方、生命体のうち特に植物を念頭に置くと、生気を失った植物は起き上がる力がなくなり、下の方へ垂れ下がる。「(ぐったりと生気や力を失って)垂れ下がる」というイメージが生まれる。下に垂れ下がると下を覆いかぶさる形になる。だから「垂れ下がる」は「下のものに覆いかぶさる(上からかぶさる)」というイメージに展開する。
以上のように古は①「固い」というイメージと、②「垂れ下がる」「覆いかぶさる」というイメージを表すことができる。①をコアイメージとするグループには古・固・故・枯・苦など、②をコアイメージとするグループには居・裾・胡・湖などがある。
「時間がたった昔」を意味するkagのコアイメージは「固い」というイメージから展開したものである。この状態を古で図形化した。「固い」は生気を失ってひからびた状態でもある。これを具体物によって象徴的に表現しようとする。表現しやすい具体物には骸骨などがあろう。古は頭蓋骨から発想された図形と解釈したい(加藤常賢と藤堂明保の説)。頭蓋骨の上に紐状のものをつけた図形が古である。この意匠によって「固い」と「垂れ下がる」のイメージを同時に表現している。
頭蓋骨の形から「ふるい」という意味が出たのではない。「時間がたっている」「新鮮さを失っている」というイメージの言葉を表記するのに頭蓋骨を象徴的に利用したのである。