「顧」

白川静『常用字解』
「会意。頁は頭に儀礼用の帽子をつけて拝んでいる人の形。雇は神を祭る神棚の扉の前に隹を置いて鳥占いをし、神意をたずねることであり、その神意をうやうやしく拝見することを顧という。それで顧は神の恵み、神の顧念の意味となり、これを人に移して、“めぐむ、おもう、心にかける” の意味となる。また神の啓示する神意をみて反省する、“かえりみる、ふりかえる”の意味にも使う」

[考察]
雇は明らかに音符だが、白川はあえて会意とする。白川漢字学説には形声の説明原理がなく、すべて会意的に説く傾向がある。本項ではわざわざ会意と規定している。会意とはAの意味とBの意味を足した「A+B」をCの意味とする方法である。雇(鳥を神棚の前に置いて鳥占いによって神意をたずねる)+頁(拝んでいる人)→神意を恭しく拝見するという意味を導く。ここから「神のめぐみ」「神の顧念」→「めぐむ 、心にかける」と意味を展開させる。
雇の解釈の疑問については既述(509「雇」を見よ)。本項ではこんな疑問がある。「神意を恭しく拝見する」というが、どうやって神意を見ることができるのか。また「神の恵み」を人に移すと「めぐみ」の意味になるというが、神の恵みは人に対するめぐみではないのか。それを人に移すとはどういうことか。そもそも顧に「神の恵み」という意味があるのか。「かえりみる」は振り返って見る動作がもとの意味であるが、神の啓示する神意を反省することからこんな意味になるだろうか。

意味とは言葉の意味であって、実際に言葉が使用されるときに文脈から判断されるものである。顧は次の用例がある。
①原文:顧我則笑 謔浪笑敖
 訓読:我を顧みて則ち笑へ 謔浪し笑敖す
 翻訳:私を振り返って笑ってみせて! はね返ってくるのはふざけた笑い――『詩経』邶風・終風
②原文:謂他人父 亦莫我顧
 訓読:他人を父と謂ふも 亦我を顧みること莫し
 翻訳:他人を父[義父]と呼んだけれど 私に目をかけてくれなかった――『詩経』王風・葛藟

①は振り返って見る意味、②目をかける(気遣う)の意味で使われている。これらの意味をもつ古典漢語がkag(呉音ではク、漢音ではコ)である。これを代替する視覚記号が顧である。
顧は「雇(音・イメージ記号)+頁(限定符号)」と解析する。雇は「出入りを止めて囲い込む」というイメージがある(509「雇」を見よ)。「囲い込む」というイメージに焦点を置くと、↻の形に図示できる。これは「丸く取り巻く」「ぐるりと回る」というイメージでもある。頁は頭部と関係があることを示す限定符号である。したがって顧は頭をぐるりと回して振り返る情景を設定した図形。この意匠によって①の意味をもつkagを表記する。
回顧の顧は過去をかえりみる意味で、①からの転義である。恩顧・愛顧・顧客の顧は相手が気になって振り返って見ることから、②の意味になったもので、これも①からの転義である。神の恵みというような意味はない。