「功」

白川静『常用字解』
「形声。音符は工。工は工作の器具の形、力は耒(すき)の形。力が意味を示す部分であるから、功は農功(農作業)のことをいう」

[考察]
「力が意味を示す部分」というのは意符ということであろう。形声文字は音符と意符から成り、音符は発音を示し、意符は意味を示すというのが伝統的な見方である。白川漢字学説もこの見方を脱していない。
ここに二つの重大な間違いがある。(1)音符は発音符号ではないこと。発音符号は音素レベルで音を示す符号である。例えばmanはm、a、nという三つの音素でできている。この三つがそれぞれ発音符号となる。漢字は記号素を代替する文字であり、アルファベットとは違い、音素のレベルと関わらない。例えば擴は黄が音符であるが、黄の音はɦuang、擴の音はk'uakであり、黄は擴の発音符号になっていない。記号素の全体を暗示させるだけである。要するに漢字の音符は音を表記するのではない。ではどんな働きをするのか。記号素の音を暗示させ、かつ記号素のコアイメージ(意味のコアにあるイメージ) を暗示させる。したがって音符の代わりに「音・イメージ記号」と呼ぶべきである。(2)意符は意味を表す符号ではないこと。「工(音符)+力(意符)」の場合、音符は今言ったように音・イメージ記号であるが、残りの力は何か。功によって代替されるkungの意味がいかなる領域と関わっているかを示す符号である。「意味を表す」ではなく「意味と関わる」である。どう関わるか。三つの場合がある。(ア)カテゴリー。例えば鯉の魚はコイという動物のカテゴリーを示す符号である。(イ)比喩。例えば群の羊は群れるものの代表であり、比喩として関わる。(ウ)場面設定。意味を暗示させるための図形的意匠の具体的場面を設定する。功の力は力を出して仕事をする場面・状況・情景を設定する働きをする。これら三つとも意符の用語はふさわしくなく、「限定符号」と呼ぶべきである。限定符号は意味に含まれない(例外はある)。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。会意とはAの意味とBの意味を足した「A+B」をCの意味とするもの。そうすると音符も意符も区別がない。工(工作)+力(耒)→農作業という意味が導かれる。このような漢字解釈は言葉という視点がないからである。
形声の説明原理とは言葉の視点に立脚し、語源的に言葉の深層構造を掘り下げる方法である。最も大切なことは言葉のコアイメージの探求である。コアイメージを捉えることによって意味が明確になり、意味の展開が合理的に説明できる。語源は字源の恣意的な解釈の歯止めにもなる。
さて功は古典でどのように使われているかを調べるのが先である。次の用例がある。
 原文:文王受命 有此武功
 訓読:文王命を受け 此の武功有り
 翻訳:文王は天命を受け 戦の手柄を打ち立てた――『詩経』大雅・文王有声

功は仕事のできばえ(手柄)という意味で使われている。これを古典漢語でkung(呉音ではク、漢音ではコウ)という。これを代替する視覚記号が功である。
功は「工(音・イメージ記号)+力(限定符号)」と解析する。工は「突き通す」というイメージがある(525「工」を見よ)。このイメージは素材に道具を突き通して物を作ることから、物を作る仕事という意味に展開する。工はこのように意味が実現されたが、さらに意味展開をする。力を出して努力した結果生じるもの、つまりできばえという意味が生まれる。この意味をつ言葉は工と同じ音でkungという。しかし表記は功となった。功と工はきわめて近い言葉である。