「光」

白川静『常用字解』
「会意。火と人(儿)とを組み合わせた形。儿は人を横から見た形で、古い字形では跪いている形である。頭上に大きな火の光をかき、火を強調して見せている字である。古代の人びとにとって火は神聖なものであったから、火を守って神に仕える人がいた。光はそのような火を扱う聖職者を示す。のち火の“ひかり”そのものを光という」

[考察]
光に「火を扱う聖職者」という意味があるだろうか。甲骨文字では光は固有名詞に使われているようだから、実証のしようがない。「火を扱う聖職者」は字形から引き出された意味であろう。図形的解釈をストレートに意味とするのは白川漢字学説の特徴の一つである。
この漢字学説は言葉という視点を欠く。言葉ではなく字形から意味を求める。しかし字形に意味があるだろうか。凹や凸は字形そのものに意味がありそうだが、どんな象形文字でも字形から意味を見るのは正確さは期しがたい。「火」から「ひ」の意味を当てるのは難しい(漢字を知らない人にとって)。予め火が「ひ」であることを知っているから、火は「ひ」の形で「ひ」の意味を表すのであろうと推測がつくだけである。
光が火を扱う聖職者だとは誰にも分からない。そんな使い方がないからだ。意味とは言葉の意味であり、言葉が文脈で使用される意味である。光は古典で次の用例がある。
 原文:匪東方則明 月出之光
 訓読:東方則ち明くるに匪(あら)ず 月出の光
 翻訳:東の空が明けたのじゃなく 月の出の光さ――『詩経』斉風・鶏鳴

光はひかりの意味で使われている。上の文脈では月のひかりである。火もひかりを出すが、火のひかりと限定されない。ひかりのことを古典漢語でkuang(呉音・漢音でクワウ)という。これを代替する視覚記号として光が考案された。
古人は光・晃・広を同源と見ている。広は←→の形が縦横にある形、つまり「四方に広がる」というイメージがある(530「広」を見よ)。光はこれときわめて似ており、「四方に発散する」というのがコアイメージである。このイメージを表現するための工夫が光という図形である。これは「火(ひ)+儿(人体)」と分析できる。頭上に火を掲げている情景というのが工夫された意匠(図案、デザイン)である。この図形的意匠によって、「(ひかりが)四方に発散する」というイメージを表現できる。