「行」

白川静『常用字解』
「象形。十字路の形。人の行く所であるから、“いく、ゆく” の意味となる。行は行くことから、ひろく行為すること一般をいう」

[考察]
十字路は人が行く所だから「ゆく」の意味になったという解釈。意味は文字の形から出るというのが白川漢字学説の基本である。
しかしこれは事実に反する。「ゆく」を意味する言葉があって、これを視覚記号化する際に「行」という図形が作られたというのが歴史的事実である。
「みち」と「ゆく」は意味上関連性がある。古典漢語では両方とも同じくɦăngという音で呼ぶ。これは聴覚記号である。目に見えるものとするために視覚記号に変換する。こうして「行」が考案された。行は古典に次の用例がある。
①原文:行有死人 尚或墐之
 訓読:行(みち)に死人有らば 尚或いは之を墐(うず)む
 翻訳:道に死人があると 穴を掘って埋める人もいる――『詩経』小雅・小弁
②原文:我獨南行
 訓読:我独り南行す
 翻訳:私はひとり南方に行った――『詩経』邶風・撃鼓

①はみちの意味、②はゆくの意味で使われている。これを意味する言葉がɦăng(呉音ではギヤウ、漢音ではカウ)であり、これを代替する視覚記号が行である。
行は十字路を描いた図形である。これは字源を説いたもの。ここで終わっては意味の展開をスムーズに(合理的に)説明できない。語源が必要である。なぜ「おこなう」の意味や行列などの意味に転じるのか。これを解く鍵がコアイメージ、つまり言葉の深層構造をなすイメージである。道の機能は目的地へまっすぐ到達させることであり、その形態はおおむねまっすぐな筋をなしている。だからɦăngという語のコアイメージは「まっすぐな筋をなす」であろうと推測がつく。このコアイメージを捉えると、「おこなう」への転義が判明する。物事をおこなうという行為は筋道を踏んで進行させることである。「まっすぐな筋をなす」というイメージを含んでいる。また行列の行は文字通り「筋をますもの」である。ただし行列の行は音を少し変えてɦang(呉音ではガウ、漢音ではカウ)となった。銀行などの行も後者からの転義である。同列の仲間、商業組合という意味に転じたのが洋行・銀行などの行の由来である。