「恨」

白川静『常用字解』
「形声。音符は艮。艮は目の下に後ろ向きの人の形(匕)をかく。目は人に呪いをかけ、災いを与える力を持つ呪眼。これを阜(神の梯)の前に掲げている形は限で、ここを極限の所として中に進むことができないで退去している形が艮である。進もうとしても進みえないで退くときの不本意な心を恨という」

[考察]
艮の解釈の疑問については252「眼」で述べている。また「限」の疑問については491「限」の項を見てほしい。
本項では艮(神梯を極限として中に進めず退去する)+心→進もうとしても進みえないで退去するときの不本意な心という意味を導く。
限を前提としないとこんな解釈は出ないはず。だから恨は「限の省略形+心」を合わせた字となりそうなものである。 
神梯の存在自体が疑わしいが、神梯に進むとは何のことか。誰が神梯に進もうとして進み得ず退去するのか。不本意に思うのは誰の心なのか。状況が朦朧として分かりにくい。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。言葉という視座がないから、語源も考慮されない。語源の歯止めがないと恣意的な解釈に陥りやすい。言葉という視点に立ち、古典に使用される文脈から意味を読み取ることが先決である。恨の用例を見てみよう。
 原文:位尊者君恨之。
 訓読:位尊き者、君之を恨む。
 翻訳:位の高すぎる人を君主はねたんで恨むものだ――『荀子』尭問

恨はいつまでも根にもつ(他人から受ける不平・不満の傷ついた気持ちがいつまでも残る)という意味で使われている。これを古典漢語ではɦən(呉音でゴン、漢音でコン)という。これを代替する視覚記号が恨である。
恨は「艮コン(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。艮は「いつまでも傷痕が残る」というイメージがある(252「眼」を見よ)。恨はいつまでも傷ついた感情が残る心理状態を暗示させる。この心理を表すのがɦənという語であり、日本語の「うらむ」にほぼ対応する。「うらむ」は「相手の仕打ちに不満を持ちながら、表立ってやり返せず、いつまでも執着して、じっと相手の本心や出方をうかがっている意」という(『岩波古語辞典』)。