「済」
正字(旧字体)は「濟」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は齊(斉)。斉は神事に仕える婦人が髪に三本の簪を縦に通して髪飾りを整える形で、整え終わるの意味がある。済は水をわたってことが成るという意味から、成就する、“なる” の意味となる」

[考察]
字形の解剖に疑問がある。斉は神事に仕える女性だというが、人の形には見えない。また、簪を縦に通すというのも疑問。意味の導き方にも疑問がある。斉に「整え終わる」という意味があるだろうか。「整える」の意味はあるが。また、済は「水を渡って事が成る」の意味から成就する意味になるというが、「水を渡る」 と「事が成る(成就する)」の結びつきに必然性がない。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、この方法自体に問題がある。意味は字形から出るものではなく、言葉が使われる文脈から判断し理解するものである。意味とは「言葉の意味」であって字形に属する概念ではない。白川漢字学説は言葉という視座を欠くから、言葉の意味を扱えない。だから意味にずれが生じやすい。あり得ない意味を作り出すこともある。
言葉の視座から濟を見てみよう。濟は古典で次の用例がある。
①原文:如有博施於民而能濟衆如何。
 訓読:如し博く民に施して能く衆を済(すく)ふこと有らば如何(いかん)。
 翻訳:もし民に広く施して大衆をすくうことがあったとしたら、これは何と呼ぶべきでしょうか――『論語』雍也
②原文:自有生民以來、未有能濟者也。
 訓読:生民有りて自(よ)り以来、未だ能く済(な)す者有らざるなり。
 翻訳:人類始まって以来、こんなこと[侵掠]を成し遂げたものはいない――『孟子』公孫丑上
③原文:小狐迄濟。
 訓読:小狐迄(ほとん)ど済(わた)る。
 翻訳:小さいキツネはもう少しで川を渡ろうとする――『易経』未済

①はアンバランスな所を補って助ける(すくう)の意味、②はバランスよくまとめあげる(なす・なる)の意味、③は川などを渡るの意味で使われている。これらの意味をもつ古典漢語がtser(呉音ではサイ、漢音ではセイ)である。これを代替する視覚記号が濟である。
古人は「済は斉(ひとしい、ひとしくする)なり」と語源を捉えている。等しくする前にはでこぼこな状態がある。でこぼこをなくするように等しくするのである。でこぼこな状態(アンバランスな状態)にあるものをバランスの取れた(安定した)状態にするよう手助けすることをtserというのである。
濟は「齊(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。齊は㐃の形が三つそろった符号に二(並ぶ、そろいう)の印を合わせたもので、全体が「同じようなものが等しくそろっている」というイメージを示す象徴的符号である(「斉」で詳述)。水は水と関係あることを示す限定符号。限定符号は図形的意匠を作るために具体的な情況・場面に設定する働きがある。濟は水量を過不足なくそろえる状況を設定した図形である。。この図形的意匠によって、「でこぼこな状態・事態を過不足なく調節する」という意味を暗示させる。これがtserの基本的な意味で、具体的な文脈では①~③の意味が実現させる。③はでこぼこな所を調整してうまく乗り切る→川など困難な場所を渡ると転じたもの。