「祭」

白川静『常用字解』
「会意。月(肉の形)と又と示とを組み合わせた形。又は手の形、示は祭壇の形。祭壇に手で犠牲の肉を供えて祭ることを祭といい、“まつる、まつり”の意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。図形的解釈をストレートに意味とする傾向がある。図形的解釈と意味の混同が白川漢字学説の特徴である。
字形だけを相手にし言葉を無視するのも白川漢字学説の特徴である。言葉という視座がないから、なぜ「まつり」を古典漢語でtsiadというのか、つまり語源の究明もない。
古人は「祭は察なり」「祭は際なり」と語源を捉えている。祭―察―際を同語源として意識していた。これらは類似の音とイメージをもつ同源のグループである。どんなイメージか。言葉の深層構造を探るのが語源である。
察は「明らか」「明らかにする」という意味で、その前提には汚れや曇りがある。汚れ・曇りをぬぐい去って明らかにする。明察の察とはこの意味である。「まつり」も汚れ・穢れを祓う行為である。だからtsiadという語の根底(核、コア)には「汚れを払い清める」というイメージがある。また、汚れを取る行為には、「摩擦する(こする)」「触れ合う」「二つのものが接触する」というイメージがある。二つのものが接触する(触れ合う)所が際であり、交際の際の意味も生まれる。また擦は「こする」という意味である。
このように語源を掘り下げると祭・擦・際・擦がスムーズに理解できる。
祭の使い方は次の用例の通りである。
 原文:祭以清酒 從以騂牡
 訓読:祭るに清酒を以てし 従ふるに騂牡セイボを以てす
 翻訳:神を祭るには澄んだ酒 赤毛の牡牛も一緒に――『詩経』小雅・信南山

祭は「月(=肉)+又(手)+示(祭壇)」を合わせて、供物を祭壇の上に安置する情景を設定した図形。図形には言葉のコアイメージを示す指標はない。ただこのような図形的意匠によって、「神をまつる」を意味する古典漢語tsiad(呉音ではサイ、漢音ではセイ)を表記するのである。