「参」
正字(旧字体)は「參」である。

白川静『常用字解』
「会意。厽ルイと㐱シンとを組み合わせた形。厽は三本の簪を中央に集めて頭髪に挿している形。㐱は跪いている人を横から見た形に、簪の珠の光ることを示す彡を加えている形である。簪三本から“みつ” の意味となり、中央に集めた簪三本の長さがふぞろいであることから“あつまる、ふぞろい”の意味となる」

[考察]
字形から意味が出るというのが白川漢字学説の特徴である。簪三本から「みっつ」の意味が出、中央に集めた簪三本の長さがふぞろいだから「集まる」と「ふぞろい」の意味が出たという。それなら㐱は何の役割があるのか分からない。しかも「珍」の項では「㐱は髪の毛の多い人の形」とし、「診」の項では「人の体に発疹のできている形」としており、不統一である。
字形を根本的に見直す必要がある。ただし字形から意味が出るのではなく、意味のイメージを図形に表現するのが漢字の造形原理であるから、參がどんな意味なのかをまず検討すべきである。それには參という語の使われている古典の用例を見る必要がある。
①原文:彼土狹而民衆、其宅參居而竝處。
 訓読:彼の土狭くして民衆し、其の宅参居して並び処る。
 翻訳:土地は狭いのに民が多いから、家は入り交じっていて、人は一緒に住んでいる――『商君書』来民
②原文:立則見其參於前也。
 訓読:立ちては則ち其の前に参するを見るなり。
 翻訳:立っている時は、それ[誠の心]が目の前に一緒にやってくるように見えるものだ――『論語』衛霊公
③原文:參伍以變。
 訓読:参伍以て変ず。
 翻訳:三と五が入り交じって(錯綜して)物は変化する――『易経』繫辞伝上
④原文:參差荇菜 左右采之
 訓読:参差シンしたる荇菜コウサイ 左右に之を采る
 翻訳:ちぐはぐでそろわぬアサザ 右に左に摘んで取る――『詩経』周南・関雎

歴史的には④~①の順だが、意味の論理的展開の順に従うなら①~④の順である。①は多くのものが入り交じるという意味、②は多くのもの(いくつかのもの)が一緒に加わるという意味、③は「みっつ」の意味、④は長短がふぞろいのさまの意味である。①②は古典漢語ts'əm(呉音ではソム、漢音ではサム)、③はsam(呉音・漢音ではサム)、④はts'ïəm(呉音・漢音ではシム)と対応し、ともに參の視覚記号で表記する。
古人は「三は参なり」の語源意識をもっており、ts'əmやsamという語には「(多くのものが)入り交じる」というコアイメージがある(663「三」を見よ)。参は三だけではなく、森・杉・集・雑などとも同源で、これらは同じコアイメージをもつ語である。参にも「(多くのものが)入り交じる」というコアイメージがあるので、①②の意味が実現される。また、三の場合、偶数にもう一つの数が加わって、「そろわない」というイメージが生まれる。このイメージ転化は参にもあり、ちぐはぐ(ぎざぎざ)でそろわない状態という意味が実現された。これが③④である。
これらを代替する參はどのような意匠をもつ図形か。ここから初めて字源の話になる。古説では三つ星の形とされたが、「女の頭に簪の珠璣が燦然と光る形」と解したのが加藤常賢の説である(『漢字の起源』)。これが妥当であろう。原形(彡を除いた形)は頭に三つの玉を飾った女の姿である。これに彡(模様・飾りと関わる限定符号)を添えて參となった。この図形的意匠によって、「三つのもの(たくさんのもの)が入り交じる」というイメージを表すことができる。
このように意味は字形から来るのではなく、意味のイメージを図形に表現したのである。意味は古典の文脈に現れる言葉の使い方にある。