「士」

白川静『常用字解』
「象形。小さな鉞の頭部を、刃を下にして置いた形。実用品の武器ではなく、士の身分を示す儀礼用の器である。士は戦士階級で、王に仕えた者である」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。士の身分を示す儀礼用の武器(鉞)→戦士・兵士の意味を導く。
なぜ士が鉞の頭部の形なのかは、図形からはさっぱり分からない。なぜ鉞の頭部を刃を下向きに置くのか。なぜこれが戦士の身分を示すのかについても証拠がないから分からない。士は「さむらい」階級の者だから武器で身分を示しただろうという推測から、士を鉞の形と解釈したとしか思えない。王も鉞の形から権力を象徴したという解釈であるが、このほうは何となく理解できるが、士の場合は納得がいかない。
字形から意味を導く方法に問題がある。言葉が先にあり、それは具体的な文脈で意味が与えられ、その言葉(音声)を文字(図形)に切り換えたというのが歴史的事実である。意味は言葉に属し、字形には属さない。
士は次のような文脈で使われている。
①原文:于嗟女兮 無與士耽
 訓読:于嗟(ああ)女よ 士と耽る無かれ
 翻訳:ああ女よ 男にはまってはいけない――『詩経』衛風・氓
②原文:凡周之士
 訓読:凡そ周の士
 翻訳:すべての周の官吏たち――『詩経』大雅・文王
③原文:士不可以不弘毅。
 訓読:士は以て弘毅ならざるべからず。
 翻訳:教養人は心が広く意志が強くなくてならならい――『論語』泰伯
④原文:善爲士者不武。
 訓読:善く士為(た)る者は武ならず。
 翻訳:優れた戦士は猛々しくない――『老子』第六十八章

士は多義的であるが、①未婚の若い男、また成人男子、②官吏、③教養のある立派な男子、④軍人・兵隊という意味に展開する。これを古典漢語ではdzїəg(呉音ではジ、漢音ではシ)という。これを代替する視覚記号として考案されたのが士である。
甲骨文字では牡の右側が⏊の形になっている。牛のほか羊・豕(ブタ)・鹿にも⏊の形がついた字があり、「おす」を表している。⏊が後に士に変化する。⏊はペニスを象った形と断定してよい。ペニスが突っ立つ情景を士で表した。dzїəgという語は仕・事・史・使などと同源で、「(まっすぐに)立つ」というコアイメージがある。
ペニスが立つのは若くて元気がよいというイメージである。だから①の意味をもつdzїəgを表記するのである。白川は④を最初の意味にしたが、歴史的に見れば①が早く現れる意味である。字形の解釈も士を牡の象徴であるペニスの形と見るのが合理性がある。甲骨文字にも根拠があるからである。