「市」

白川静『常用字解』
「象形。市いちの立つ場所を示すために立てる標識の形。古い字形には止という音符を加えるものがあるが、市の字形にはその形が残されていないので象形とする」

[考察]
市場の場所を示す標識の形というが、どんな標識か不明。旗や幟であろうか。古い字形には止が含まれているという。むしろ古い字形から説明すべきではないか。市場の標識から「いちば」の意味になったというのは安易である。字源の説明は中途半端である。
市は古典で次の用例がある。
①原文:不績其麻 市也婆娑
 訓読:其の麻を績(う)まず 市に婆娑たり
 翻訳:[女たちは]麻を績まず 市場でハタハタと舞っている――『詩経』陳風・東門之枌
②原文:沽酒市脯不食。
 訓読:沽酒・市脯は食はず。
 翻訳:市販の酒は飲まないし、市販の乾し肉は食わない――『論語』郷党

①は物を売買する所(いちば)の意味、②は売買する(買う、または売る)の意味で使われている。これを古典漢語ではdhiəg(呉音でジ、漢音でシ)という。これを代替する視覚記号として市が考案された。
市は篆文でも楷書でも分析困難である。金文に遡ると「止+兮」に分析できる。止は足(foot)の形で、足の機能の一つとして「(足を)とめる」というイメージを表す(681「止」を見よ)。兮は乎の上部を八(分かれる符号)に変えた字である。息が分散して出ていく状況を暗示させる図形(500「呼」を見よ)。「止(音・イメージ記号)+兮(イメージ補助記号)」を合わせた市は、やって来る人に声をかけて呼び止める情景を設定した図形である。この意匠によって、大勢の人が集まって物品の売買をする所の意味をもつdhiəgを表記する。