「矢」

白川静『常用字解』
「象形。矢の形。矢は神聖なものとされ、たとえば誓約のときにそのしるしとして矢を用いるので、“矢ちかう”という読み方がある」

[考察]
字形から意味が出てくるわけではない。「や」を意味する言葉が先にあり、それを「矢」という図形で表記したのである。矢は古典に次の用例がある。
①原文:周道如砥 其直如矢
 訓読:周道は砥の如く 其の直(なお)きこと矢の如し
 翻訳:周の道は砥石のように平らかで 矢のようにまっすぐだ――『詩経』小雅・大東
②原文:矢詩不多
 訓読:詩を矢(つら)ぬること多からず
 翻訳:述べた詩の文句は多くはない――『詩経』大雅・巻阿
③原文:矢于牧野
 訓読:牧野に矢(ちか)ふ
 翻訳:牧野[地名]で誓いを立てた――『詩経』大雅・大明

①は「や」の意味、②は敷き並べる、連ねるの意味、③は誓うの意味で使われている。これを古典漢語ではthier(呉音・漢音でシ)という。これを代替する視覚記号が矢である。
①と②と③は全く意味が違う。別語とも見える。しかし三つは全く同音であり、同じ字で表記されている。これを理解するには語のコアイメージを捉える必要がある。コアイメージが意味の展開を理解する鍵である。古人は「矢は指(ゆび、指す)なり」と語源を捉えている。指は「まっすぐ」というイメージがある。矢の形態的特徴に着目してthierというのであり、「(直線的に)まっすぐ」がコアイメージである。
「まっすぐ」というコアイメージから、直線状に並べるというイメージに展開し、②の意味が実現される。また、言葉をまっすぐに(ストレートに)述べる、つまり曲がったこと(噓や偽り)がないと誓いを立てるという③の意味が実現される。白川は矢が神聖なものだから矢を用いて誓約すると解釈しているが、言語外から意味を導くものである。言語内部の自律的な意味展開を重視すべきである。