「伺」

白川静『常用字解』
「形声。音符は司。司は祝詞を唱えてお祈りするときの儀礼を司ることをいう。その儀礼を掌り、神意をはかり伺い、神意を察する人を伺というのであろう」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、会意的に説く特徴がある。司(祝詞を唱えて祈る儀礼をつかさどる)+人→その儀礼をつかさどり、神意を伺い察する人という意味を導く。
しかしそんな意味が伺にあるだろうか。意味とは「言葉の意味」であり、言葉を使った具体的文脈に現れる意味である。伺は次のような文脈に使われている。
 原文:晉楚合必伺韓秦。
 訓読:晋・楚合すれば必ず韓・秦を伺はん。
 翻訳:晋と楚が連合すれば、きっと韓と秦を[侵略しようと]うかがうだろう――『戦国策』韓策

伺は様子をうかがい見るという意味で使われている。神意とは何の関係もない。しかも名詞ではなく動詞である。
伺は「司(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。司は「小さい」「狭い穴」「狭い隙間から出入りする」というイメージを示す記号である(685「司」を見よ)。司は「狭い隙間から出入りする」というコアイメージから、司自体が「狭い隙間を通して様子をつかがう」という意味が実現された。司はさらに意味が展開して、一つの役目だけを担当する(つかさどる)の意味、一つの役目を担当する者・所(つかさ)の意味になったので、最初の「つかがう」に専用するため伺が創作された。