「志」

白川静『常用字解』
「形声。音符は士。字の上部はもと之の形である。之は行くの意味であるから、心がある方向をめざして行くことを志といい、“こころざす、こころざし” の意味となる。志は古くは心に在る、心にしるすの意味であった。志は誌(しるす)と通用する」

[考察]
志は古くは「心に在る、心にしるす」の意味といい、字源は「心がある方向をめざして行くこと」という。二つの意味はどういう関係なのかはっきりしない。
志は古典で次の用例がある。
①原文:吾十有五而志于學。
 訓読:吾十有五にして学に志す。
 翻訳:私は十五歳で学問をめざした――『論語』為政
②原文:弟子志之。
 訓読:弟子よ之を志(しる)せ。
 翻訳:弟子たちよ、このことを覚えておきなさい――『荘子』山木

①は心がある目標をめざして進む(こころざす)の意味、②は心に止める(心に記す、おぼえる)の意味で使われている。①と②は意味が違うが、ともに古典漢語ではtiəg(呉音・漢音でシ)といい、志という共通の視覚記号で表記する。
志は「之+心」に分析できる。之は「止+一」に分析できる。止が言葉の深層構造と関わる部分であり、コアイメージを提供する源泉である。止は「進む」のイメージと「止まる」のイメージがある(681「止」を見よ)。これは足の機能から生まれたイメージである。「進む」と「止まる」は正反対の行動であるが、足という一つの身体的機能の両面である。だから二つは密接なつながりのあるイメージである。
之は「止(音・イメージ記号)+一(イメージ補助記号)」と解析する。止は二つのイメージのうち「進む」のイメージを用い、目標をめざしてまっすぐ進む情景を設定した図形。之はそのイメージを表す記号になる。したがって志は心が何か(求めるものや目標)をめざしてまっすぐ進む心理状況を暗示させる。この意匠によって「こころざす」の意味をもつtiəgを表記する。これが①の用法である。
一方、之の根底には止のイメージも隠れている。之(進む)と止(止まる)は盾の両面のような密接な関係がある。かくて志は心にじっと止まる(止めておく)という意味にも展開するのである。心に止めるとは心の中にとどめる、つまり覚える(記憶する)ことである。これが②の用法である。
白川は「心に在る、心にしるす」が古い意味だというが、語史から見て、逆である。①が最初の意味、②は転義(派生義)である。