「私」

白川静『常用字解』
「会意。禾は稲などの穀物。厶は耜すきの形。耜を使って耕作する人を私という。私は私属の耕作者、隷農をいい、“わたくし”の意味となる」

[考察]
形声の説明原理がなくすべて会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。また字形の解釈をストレートに意味とする特徴がある。禾(穀物)+厶(耜)→耜を使って耕作する人という意味を導く。それから隷農、わたくしへと展開させる。
隷農から「わたくし」への意味展開は唐突で理解しがたい。いったい私に「耜を使って耕作する人」「隷農」というような意味があるだろうか。そんな意味はあり得ない。図形から無理に解釈して導いたものというしかない。
意味は言葉が使われる文脈に現れるものである。意味とは「言葉の意味」である。意味を知るには文脈を尋ねる必要がある。私は古典に次の用例がある。
①原文:以公滅私。
 訓読:公を以て私を滅す
 翻訳:公的なことで私的なことを犠牲にする――『書経』周官
②原文:言私其豵 獻豣于公
 訓読:言(ここ)に其の豵ソウを私(わたくし)し 豣ケンを公に献ず
 翻訳:小さなイノシシは自分のものに 大きなイノシシは殿に献上――『詩経』豳風・七月

①は個人に関わること(わたくし、プライベート)の意味、②は個人の私有物にする意味で使われている。これを古典漢語ではsier(呉音・漢音でシ)という。これを代替する視覚記号として私が考案された。
私は「厶シ(音・イメージ記号)+禾(限定符号)」と解析する。厶は公に含まれている厶と同じで、〇や☐が変わった図形で、囲い込むことを示す符号となる。したがって私は自分の物だと作物などを囲い込む情景を設定した図形である。これに反して、囲い込んだものを両側に開いてみんなに見せる情景を意匠にしたのが公である(526「公」を見よ)。公と私は相対する語で、社会全体に開かれどこまでも突き通って見える状態が公であり、自分個人の領域に閉じ込めた状態、隠して見えない状態が私である。前者が英語のpublic、後者がprivateに当たる。