「肢」

白川静『常用字解』
「形声。音符は支。支は小枝(十)を手(又)に持つ形で、もと木の枝をいう。すべて本体から分かれ出ているものを支といい、身体の部分を意味する月(肉)を加えた肢は、“てあし” の意味となる」

[考察]
この字源説は妥当である。ただし字形から意味が出るのではなく、意味を字形に表したのである。「字形→意味」の見方と、「意味→字形」の見方は同じではない。「字形→意味」の方向に漢字を説くと、図形的解釈がそのまま意味とされる傾向が強い。そうなると余計な意味素が意味に紛れ込む。白川学説は「字形→意味」を方法とする学説だが、上の字源説は結果としては正しい。だから「妥当である」と言った。
「意味→字形」の方向に説くとどうなるか。まず肢の意味を古典で確かめる。
 原文:四肢之於安佚也性也。
 訓読:四肢之於安佚也性けるや性なり。
 翻訳:手足が安逸を求めるのは自然の性である――『孟子』尽心下

肢は手足の意味で使われている。手と足を含めて古典漢語ではkieg(t∫iĕ、呉音・漢音でシ)という。これを代替する視覚記号が肢である。
肢は「支(音・イメージ記号)+肉(限定符号)」と解析する。支は「本体からYの形に枝分かれる」というイメージがある(701「枝」を見よ)。手足は胴体からYの形(あるいは←|→の形)に分かれ出たものである。だから肢の図形が考案された。