「視」
正字(旧字体)は「視」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は示。示を祭りのときに使う机である祭卓の形。見は跪いている人の上部に目を強調してかき、見るの意味。視は神前で、神の姿を見る、神意の示すところを“みる”の意味となる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。また字形から意味を引き出すこともその特徴である。示(祭卓)+見(見る)→神前で神の姿を見る、または神意の示すところを見るという意味を導く。
視に「神前で神の姿を見る」とか「神意の示す所を見る」という意味があるだろうか。そんな意味はない。図形的解釈と意味を混同している。視は古典で次の用例がある。
 原文:子興視夜 明星有爛
 訓読:子興きて夜を視よ 明星爛たる有り
 翻訳:あなた起きて夜をご覧よ 明けの明星がきらきらしてる――『詩経』鄭風・女曰鶏鳴

視はまっすぐ視線を向けて見る(注意して見る)の意味で使われている。これを古典漢語ではdhier(呉音でジ、漢音でシ)という。これを代替する視覚記号として視が考案された。
古人は「視は是(まっすぐ)なり」と語源を説いている。まっすぐ視線を走らせて見ることがdhierの意味である。この言葉の根底(コア、深層構造)には「まっすぐ」というイメージがある。
視は「示(音・イメージ記号)+見(限定符号)」と解析する。「見」は「見る」というカテゴリーに分類する限定符号である。見方にもいろいろあるがどんな見方かを示すための限定符号である。「示」は祭壇の形であるが、実体に重点があるのではなく、形態や機能に重点がある。形態的にはまっすぐ立てたものであり、機能的には神意がここにまっすぐに現される所で、「まっすぐ」というイメージを表すことができる。したがって視は視線をまっすぐ対象に向けて見る状況を暗示させる。意味は神や神意とは何の関係もない。