「詩」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寺。心にあることを言葉に出すことのが詩で、その詩は多くの場合、神の前で声をあげて歌いあげる儀式の“うた”であった」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意的に説く特徴がある。本項では寺からの説明ができていない(字源の放棄)。ただし古字を[言+之]とし、之から説明しようとして、『詩経』大序の「詩は志の之く所なり」を引用している。もっとも之と詩との関連がはっきりしない。中途半端な字源説である。
詩は語史が古く、次の用例がある。
 原文:寺人孟子 作爲此詩
 訓読:寺人孟子 此の詩を作為す
 翻訳:側用人の孟子が この詩を作った――『詩経』小雅・巷伯

『詩経』は単に「詩」とも称され、韻文のジャンルの一つ、抒情詩に当たる文学形式を詩という。『詩経』では抒情詩が圧倒的に多いが、叙事詩風のものもわずかに含まれている。上の用例の「この詩を作った」というのは巷伯篇の最後に著者を詠み込んだ珍しい例である。
詩は日本語に翻訳できない。「うた」の一種ではあるが、和歌などの「うた」とも違う。『詩経』では四音節(=四言。漢字が四つ)を連ねたものを一詩行(verse)とし、詩行を四つ並べたものを一章(stanza)とし、、さらに章を三つ反復展開させるのが、『詩経』の詩の基本詩形である。後世になると五言、七言も現れ、反復形式は廃れたが、漢詩の技法のほぼすべが『詩経』に存在する。
さて詩は「寺(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。寺にコアイメージの源泉がある。これはどんなイメージか。後に詳しく分析するが(727「寺」を見よ)、結論だけを述べると、「まっすぐに進む」というイメージである。したがって詩は対象を目指してまっすぐに進む心を表現する言葉(言語行為)を暗示させる。
寺には之が含まれ、志も之を含む。詩・寺・志・之は同源の言葉である。語源を利用して詩を定義づけをしたのが『詩経」大序の文章である。「詩は志の之く所なり」は、詩とは志をまっすぐに表現するものと定義している。これは抒情詩の定義でもある。古典における詩とは抒情詩のことである。