「自」

白川静『常用字解』
「象形。正面から見た鼻の形。自分自身をいうとき、自分の鼻を指さしたり、自分の鼻を押さえることは古くからのことであったらしく、自は“おのれ、みずから” の意味となる。自は“はな”の意味であったが、おのれの意味に用いられるようになったので、自に鼻息の音である畀を音符として加えた鼻が作られた」

[考察]
問題点が三つある。①自は鼻の意味か。②自分をいうとき鼻を指すから自は「おのれ」という意味になったか。自は「おのれ」という名詞の意味か。③自と鼻は同字(異体字)か。
自は確かに鼻を描いた象形文字であるが、実体を重視するよりも形態や機能に重点を置くのが漢字の造形法である。自は鼻の意味ではなく、古典では次のように使われている。
①原文:我之懷矣 自詒伊阻
 訓読:我の懐ひは 自(みずか)ら伊(こ)の阻を詒(おく)れり
 翻訳:むすぼれた物思いが みずから別れを招いてしまった――『詩経』邶風・雄雉
②原文:萬物將自化。
 訓読:万物将に自(おのずか)ら化せんとす。
 翻訳:万物はひとりでに姿を変えるだろう――『老子』第三十七章
③原文:出自幽谷 遷于喬木
 訓読:幽谷自(よ)り出でて 喬木に遷(うつ)る
 翻訳:[その鳥は]深い谷間から出て 高い木に移っていく――『詩経』小雅・伐木

①はみずからの意味、②はおのずからの意味、③は「~より」の意味である。これを古典漢語ではdzied(呉音でジ、漢音でシ)という。これを代替する視覚記号として自が考案された。
古代の日本人は自に「おのれ」ではなく、「みずから」「おのずから」の訓を当てた。実に適確な漢字・漢語の理解があった。dzied(自)という語のコアイメージは「(ある物を)起点として」である。人間の場合は他人によらず自分自身を起点とする。これが①の「自分を起点として」「自分から」の意味。また自然の場合は、他の何物にもよらないでその物を起点とすることが②の「それ自身で、ひとりでに」である。自は「おのれ」や「自分」という名詞ではなく、「(自分を)起点として」という副詞である。また、ある物を起点としてそこ(それ)からという意味に展開する。これが③である。出自(出身)は「~自(よ)り出る」という意味。
人は自分を言うときに鼻を指す習慣があるから、鼻の意味から自分の意味になったと説くのは俗説である。鼻という実体ではなく形態に着目するのである。鼻は顔面の突起物である。他よりも突き出た先端のイメージ、そこから始まる起点のイメージがある。『説文解字』の皇の解字に「自は始なり」とあるのは、自が始点・起点というイメージをもつことをはっきりつかんでいる。
白川は自が鼻以外の意味になったので、自に畀を加えて鼻になったというが、自は鼻の意味ではないし、自(dzied)と鼻(bied)は全く別語である。