「慈」

白川静『常用字解』
「形声。音符は茲。茲は滋と通じて、ふえる、やしなうの意味があり、その養う心情を慈といい、“いつくしむ” の意味となる」

[考察]
「その養う心情」の「その」とは何かがはっきりしない。子であろうか。また「ふえる」と「やしなう」と「いつくしむ」の関係が分からない。なぜ「ふえる」から「養う」「いつくしむ」の意味になるのか。
『釈名』(古代の語源辞典)では「慈は字なり。物を字愛するなり」と語源を説いている。字は子を生み育てるの意味だから、字愛は母が子を大事にかわがって育てるの意味になる。これは慈の語源をうまく説明している。
慈は次のような用例がある。
①原文:敬老慈幼。
 訓読:老を敬ひ幼を慈しむ。
 翻訳:老人を敬い、幼い子を愛する――『孟子』告子下
②原文:孝慈則忠。
 訓読:孝慈なれば則ち忠。
 翻訳:[為政者が]親に孝養を尽くし、民を愛するならば、[民は]誠実になります――『論語』為政

①は母が子に愛情をそそぐ意味、②は目上の者が下の者を愛する(民や大衆に情けをかける)の意味で使われている。二つを統括するのは「小さい(かよわい)ものを大事にする」 という意味である。これを古典漢語ではdziəg(呉音でジ、漢音でシ)という。これを代替する視覚記号が慈である。
古代の日本人は慈に「いつくしむ」の訓を当てた。「いつくしむ」とは「親が子を、また、夫婦が互いに、かわいく思い、情愛をそそぐ心持ち」で、これから「肉親的な愛情をこめて、人と対する。年の行かないものに心を使い、いとしむ」の意味になったという(『岩波古語辞典』)。これは古典漢語の慈にほぼ相当する。
慈は「茲シ(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。茲は草が小さい芽から次々に繁殖する情景を設定した図形で、「小さいものが増える(殖える)」 というイメージを表すことができる(738「滋」を見よ)。母が子を生んで殖やす行為を孳というが、慈はこの行為の精神面を表現している。生まれる子を大事に育てる母の心が慈である。その根底にあるのは「小さいものを大事にする、かわいがる」というイメージである。