「終」

白川静『常用字解』
「形声。音符は冬。冬は編み糸の末端を結びとめた形で、終のもとの字である。冬を四季の名の冬に専用するようになって、糸の末端を示す意味で糸へんを加えて終の字が作られた。糸の末端を結んで終結とすることで、すべてことの“おわり”の意味となる」

[考察]
冬と終は密接な関係がある。白川は冬を終の原字とするから、冬は「おわる」という意味に取るのであろう。しかしこれでは「ふゆ」の意味が説明できないので、冬の「ふゆ」は仮借とする(『常用字解』の「冬」の項)。仮借といっても何から何を借りるのか定かでない。仮借説は疑問である。
字形から意味を導く学説には限界がある。語源を導入しないと、終と冬の関係は分からない。冬の語源を究明すると、終がなぜ「おわるの意味かが理解できる。
古人は「冬は終なり」「冬は中なり」「冬は蔵なり」と語源を説いている。一年が終わって万物が地中に収蔵される季節という捉え方である。草木が地下に種子を蓄える季節をtong(冬)というのである。この語は蓄と同源で、「いっぱいに蓄える」というコアイメージをもつ。ある空間や範囲を十分に満たしたら、もう余裕がなく、限界に達する。だから「いっぱいに蓄える」は「いっぱになって尽きる(きわまる)」というイメージに転化する。これが終のコアイメージでもある。限界に達することをtiong(終)というのである。古典では「終は尽なり」「終は極なる」とある。終は古典に次の用例がある。
①原文:年四十而見惡焉、其終也已。
 訓読:年四十にして悪(にく)まるるは、其れ終らんのみ。
 翻訳:年が四十にもなって人に憎まれるようでは、もうおしまいだね――『論語』陽貨
②原文:靡不有初 鮮克有終
 訓読:初め有らざるは靡(な)し 克(よ)く終り有ること鮮(すくな)し
 翻訳:始めの出だしはよいが 終わりを飾ることはめったにない――『詩経』大雅・蕩

①は最後の段階まで行き尽くす(おわる)の意味、②は物事の最後の段階(おわり)の意味である。これを古典漢語でtiong(呉音でシュ、漢音でシュウ)という。これを代替する視覚記号として考案されたのが終である。
終は「冬(音・イメージ記号)+糸(限定符号)」と解析する。冬の字源については諸説紛々で定説はない。甲骨文字について、ハシバミの実が二つ連なっている形や、葉の落ちた木の枝に果実がついている形と見る説もある。どちらも植物の実とするのは同じ。何とでも解釈できるが、上記で究明した語源との関係で字源を見ると別の解釈もできる。果実を干している形と解釈したい。これは越冬用に蓄える保存食を図にしたものである。この図形的意匠によって「いっぱいに蓄える」というイメージを表す記号とする。冬はその記号(夂)に限定符号の冫(氷)を添えた字である。かくて終は糸巻に糸をいっぱいに蓄える情景を設定した図形である。上記で述べたイメージ展開、「いっぱい満ちる」→「尽きる」「極まる」という展開を踏まえて、最後の地点や時点に行き尽くす、つまりおわることを、この図形的意匠によって暗示させる。