「熟」

白川静『常用字解』
「形声。音符は孰。孰のもとの字は、煮炊きする器に丮(手にものを持つ形)を加えて、煮るの意味の字であり、熟のもとの字である。煮炊きには火を使うので、下に火(灬)を加える。よく煮ることから、すべてものの“うれる”の意味に、また“なれる、しあがる”の意味にも用いる」

[考察]
「にる」の意味では熟と煮がある。なぜ熟は「うれる」の意味があるのに、煮にはないか。「にる」から「うれる」「なれる」への意味展開を説明するには、言葉の深層構造に掘り下げる必要がある。コアイメージを捉えることこそ意味展開を合理的に説明できるのである。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。享(孰のもとの字。煮炊きする器)+丮(手に物を持つ)→煮炊きするという意味を導く。
「煮炊きする器」から「煮炊きする」の意味を導くのは同語反復のようなもの。会意的解釈は字形の表面をなぞっただけである。形声の説明原理はこんなものではない。言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉えて、意味を説明する方法である。
熟は「孰ジュク(音・イメージ記号)+火(限定符号)」と解析する。孰の左側は享楽の享とも、郭の左側とも異なる。孰は「𦎧+丮」に分析する。𦎧は「亯+羊」から成る。亯は享・亨と同じで、「スムーズに通る」というイメージがある(353「享」を見よ)。「亯(イメージ記号)+羊(限定符号)」を合わせた𦎧は羊に火を通して煮込む場面を設定した図形。むらなく火を通して煮込むことをジュンという。この語には「むらなく通る」というコアイメージがある。「𦎧ジュン(音・イメージ記号)+丮(限定符号)」を合わせたのが孰である。Aは「スムーズに通る」「むらなく通る」というイメージ。丮は両手を差し出す人の形で、両手の動作を示す限定符号である(築・恐・執・藝にも含まれている)。したがって孰はむらなく火を通して煮る状況を暗示させる。
孰だけで「火をむらなく通してよく煮込む」ことを意味するdhiokを表記できるが、「いずれ(だれ)」という疑問詞に使われるようになったため、改めて火を添えて熟が作られた。
dhiokは生のものや固いものにむらなく火を通して柔らかくなるまで煮るという意味で、「たっぷりなじませる」というコアイメージがある。ここから、果実や作物が柔らかくなじんだ状態になる(うれる)という意味(熟柿・完熟の熟)、また、物事によくなじんで慣れるという意味(熟練・習熟 の熟)に展開する。