「術」

白川静『常用字解』
「会意。行と朮じゅつとを組み合わせた形。行は大きな道が交叉する十字路の形。十字路はいろいろな霊の行き交う所であるから、そこではいろいろな呪術が行われた。朮は呪霊を持つ獣の形。道路において、この霊を用いて軍の進退などを占って決め、その決定に従って行軍を継続する述や遂の呪術があった。そのような呪術、わざを術という」

[考察]
白川漢字学説の特徴がすべて現れた字源説である。その特徴とは
①形声の説明原理がなく会意的に説く。
②字形から意味を導く。
③図形的解釈と意味を混同する。
④言葉という視点がない。
「意味はどこから来るか、どこにあるか」ということが学説の根本である。白川は意味は形から来るという考えで、形の解釈を「字形学」と称している。これは「文字学」の別の言い方でもある。上の四つの特徴はすべてこの思想から来ている。
意味とは何か。言語学の定義では言葉(記号素)は音と意味の結合した実体であり、意味は言葉に内在する概念である。要するに意味とは「言葉の意味」である。その言葉(音を媒体とする聴覚言語)を視覚的な形に切り換えたもの、それが文字である。聴覚的なものと視覚的なものは全く別種の記号である。しかし視覚的な記号は聴覚的な記号を前提とするから切り離せない。文字は独立した記号ではなく、言葉に従属する記号である。意味は言葉に内在するものであり、言葉を抜きにしては意味を云々することはできない。言葉以外に意味を考えるのは比喩であるか、あるいは言葉による解釈であるかである。意味を云々限り必ず言葉がある。意味とは「言葉の意味」である。
字形から意味を導く白川漢字学説は言語学から外れていると言っても過言ではない。漢字は言語学の対象外ということにはならない。漢字は古典漢語を表記する文字である。ギリシア文字が古代ギリシア語を表記した文字であるのと変わりはない。漢字を見るには古典漢語を見る必要がある。古典漢語は中国の先秦時代(殷・周を含めて)の古典に使われた言葉であり、それを書き表しているのが漢字である。現在の漢字の源はここにある。ここから漢字は出発する。時代とともに変容はあるが、漢字の原点がここにある。日本で使われている漢字もこれと深い関わりがある。漢字の意味と言っているのは古典漢語の意味である。
さて術をどう理解すべきか。古典での使用例を見るのが先決である。次の用例がある。
①原文:巷術周道者、必爲之門。
 訓読:巷術周道なる者は、必ず之(これ)が門を為(つく)る。
 翻訳:村の中の道や大通りには、必ず門を設ける――『墨子』旗幟
②原文:觀水有術。
 訓読:水を観るに術有り。
 翻訳:水を観察するには一定の手段がある――『孟子』尽心上
③原文:故術不可不愼也。
 訓読:故に術は慎まざるべからず。
 翻訳:技術[の選択]は慎重にしないといけない――『孟子』公孫丑上

①は村や町の通り道の意味、②は一定のやり方(すべ、方法、手段)の意味、③は一定の方法でなされる技能・技芸(わざ)の意味で使われている。これを古典漢語ではdiuәt(呉音でズチ・ジュツ、漢音でシュツ)という。これを代替する視覚記号として術が考案された。
②と③は関連性があるが、①は懸け離れた意味である。なぜこんな意味が同じ言葉なのか。これを理解するには言葉の深層構造に迫る必要がある。コアイメージが意味展開を説く鍵である。
術は「朮ジュツ(音・イメージ記号)+行(限定符号)」と解析する。朮と術は明らかに音のつながりがあるから形声である。ただし単なる音符(発音符号)ではなく、記号素の音を暗示させると同時にイメージを表す記号である。どんなイメージか。白川は朮を「呪霊を持つ獣の形」とするが、呪霊を持つ獣とは何なのか。朮が獣とは変である。朮は秫(モチアワ)の異体字である。朮は穂に種子が生じている図形。ただしモチアワという実体に重点があるのではなく、形態や機能に重点がある。モチアワは粘性のあるアワである。粘着という状態を捉えて、「くっつく」「(本体に)くっついて離れない」というイメージを表す記号が朮である。「くっつく」というイメージは「ルート(本筋)を外れない」「ルートに従う」というイメージに展開する。語源的に見ると、diuәt(朮・術・述)という語は循・遵・巡・順・率ソツ・帥ソツなどと同源であり、これらは「一定のルートに従う」というコアイメージをもつ。このイメージを表す朮と行(道と関係があることを示す限定符号)を合わせた術は、誰もが外れないで通る道を暗示させる。これは図形的意匠であって意味そのものではない。意味は上記の①である。
なぜ①から②③に転義するのか。言葉の根底にあるコアイメージが転義の契機・原動力になる。「ルートに従う」「外れてはならないルート」というのがコアイメージである。誰もが従うべき一定の基準、外れてはならない一定のやり方という意味が生まれる。これが②③である。
白川は十字路で軍の進退を占って決める呪術から「わざ」の意味になったという。「呪霊を持つ獣」とか「十字路はいろいろの霊の行き交う所」などは現実的には考えにくい。これを根拠にした字源説は説得力がない。ちなみに②は英語のmethodに当たる。これはギリシア語のmethodosに由来する。meta(~とともに)+hodos(道)が組み合わさったもので、道を共にすることから、「知識の追究、研究法」の意味になったといわれる(『スタンダード英語語源辞典』)。通り道から方法・手段の意味に転じた古典漢語の術と語源が似ている。言語の普遍性の証拠の一つと言えないだろうか。