「所」

白川静『常用字解』
「会意。戸は神棚の片開きの扉の形である。その戸を斤(手斧)で作ることを所という。戸(扉)・神棚を作り、その中に神位を安置したのであろう。所は神のおるところ、聖なるところである」

[考察]
字形的解釈をストレートに意味とし、図形的解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の特徴である。戸(神棚の扉)+斤(手斧)→神棚の扉を手斧で作るという意味を導き、神のおるところの意味に展開させる。
こんな意味が所にあるだろうか。意味とは「言葉の意味」であって字形にあるわけではない。意味は言葉の使われる文脈から出るものである。所は古典に次の用例がある。
①原文:樂土樂土 爰得我所
 訓読:楽土よ楽土よ 爰(ここ)に我が所を得ん
 翻訳:楽園よ楽園よ そこに私の場所を見つけよう――『詩経』魏風・碩鼠
②原文:爲政以德、譬如北辰居其所而衆星共之。
 訓読:政を為すに徳を以てすれば、譬へば北辰の其の所に居りて、衆星の之に共(むか)ふが如し。
 翻訳:徳で政治を行うならば、北極星がそのあるべき場所にいて、多くの星がそれを仰ぐようなものだ――『論語』為政

所は①②とも物の落ち着くべきところ、その物があるべき場所、また、ある物が占めている場所の意味である。これを古典漢語ではsïag(呉音でショ、漢音でソ)という。これを代替する視覚記号として所が考案された。
所は「戸(音・イメージ記号)+斤(限定符号)」と解析する。戸は「と、とびら」の意味であるが、実体に重点があるのではなく形態や機能に重点がある。古人は「戸は護なり」と語源を説いている。戸は護(周囲を囲って守る)や穫(枠の中に入れる)などと同源で、「囲い込む」というイメージがある(498「戸」を見よ)。斤は斧であるが、道具の類と関わる限定符号である。所は道具で一定の範囲の場所を囲い込む情景を設定した図形。この図形的意匠によって、上記の意味をもつsïagを表記する。