「唱」

白川静『常用字解』
「形声。音符は昌。昌は日(星の形)を二つ重ねた形で、星が明るいの意味となる。昌は明るいの意味から、さかんの意味となり、さかんな歌声を唱という」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。昌(星が明るい、さかん)+口→さかんな歌声という意味を導く。
昌の日と曰をともに星と見、星を二つ重ねた形から「星が明るい」という意味を導く。字形の解剖も意味の取り方も誤っている。昌の上は日(太陽)、下は曰(いわく)である。昌に「星が明るい」という意味はない。昌は「明るい」「美しい」の意味である。
白川漢字学説では口を「祝詞を入れる器の形」、曰を「祝詞を入れる器に祝詞が入っている形」と見、祭祀儀礼から意味を解釈するのが通例である。本項の字源は白川説から外れているのはどういうわけか。
古典での唱の使い方を調べるのが先決である。
 原文:子思唱之、孟軻和之。
 訓読:子思之を唱へ、孟軻之に和す。
 翻訳:[その考えは]子思が先に唱え、孟子が後に従ったものだ――『荀子』非十二子

唱は人の先に立って始めに声高く言ったり歌ったりする(となえる)の意味で使われている。これを古典漢語でt'iang(呉音・漢音でシヤウ)という。これを代替する視覚記号が唱である。唱の前は倡と書かれた。『詩経』に「予に倡(とな)ふれば女(なんじ)に和さん」(あなたが私の先に歌えば、あなたについて歌います)という用例がある。唱(=倡)は和と組みになる言葉である。
唱は「昌(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。昌は「日+曰」に分析する。日は太陽だが、「明るい」「盛んに光を発する」というイメージだけが取られる。曰(いわく、いう)は言語行為に関わることに限定する符号。「日(イメージ記号)+曰(限定符号)」を合わせた昌は、明るい美声を盛んに発する情景を設定した図形である。口は言葉や言葉をしゃべることに関わる限定符号である。したがって唱はひときわ盛んに声を張り上げる状況を暗示させる。この図形的意匠によって上記の意味をもつt'iangを表記する。
意味は人の先に立って声高く言ったり歌ったりすること(唱和の唱)から、声高く呼ばわる意味(万歳三唱の唱)、歌う、歌の意味(唱歌の唱)に展開する。