「訟」

白川静『常用字解』
「形声。音符は公。公は宮廷の中の儀礼を行う式場の平面形。ここで祖先を祭り、裁判も行われた。“うったえる、さばく、せめる” の意味に用いる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。公(宮廷の中の儀礼を行う式場)+言→うったえる・さばくという意味を導く。
しかし儀礼を行う式場から「うったえる」の意味が出るだろうか。公が裁判の意味をもつわけではない。意味展開に何ら必然性がない。字形から意味を導く方向に限界がある。逆に意味から出発すべきである。意味は言葉の使われる文脈をみれば知ることができる。古典に次の用例がある。
①原文:自下訟上。
 訓読:下自(よ)り上を訟(うつた)ふ。
 翻訳:下の者が上の者を訴える――『易経』訟
②原文:雖速我訟 亦不女從
 訓読:我を訟に速(まね)くと雖も 亦女(なんじ)に従はず
 翻訳:私を裁判に呼んだとて お前なんかに従わぬ――『詩経』召南・行露

①はもめごとをうったえる意味、②は裁判沙汰の意味で使われている。これを古典漢語でziong(呉音でズ・ジュ、漢音でショウ)という。これを代替する視覚記号が訟である。
訟は「公(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。公にコアイメージの源泉がある。公は囲い込んだもの(私物)を開放して見せることで、これが社会全体に開いていること、つまり「おおやけ」という意味である(526「公」を見よ)。この語には「隙間が開いて通る」「隙間が開いて底まで通って見える」というイメージがあり、「A点からB点までストレートに通る」というイメージにも展開する。訟はもめごとがある際、言葉(訴状)をストレートに官(裁判)に通す状況を暗示させる。