「蒸」

白川静『常用字解』
「形声。音符は烝。説文に“おがら” であるという。麻の皮をはいだあとの茎で、俗に麻骨棓という。“おがら”の意味から展開して、“むす、むしあつい、おおい”の意味となった」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では烝からの説明ができていない。意味は「おがら」から「むす」に展開したというが、転義の筋道がはっきりしない。意味展開を説明するには言葉の深層構造を掘り下げ、コアイメージを捉える必要がある。これこそ形声の説明原理でもある。
蒸の古典における用例を尋ねてみよう。
①原文:室中以楡若蒸。
 訓読:室中には楡若しくは蒸を以てす。
 翻訳:室内ではニレから取る火、または麻がらを燃やす松明を用いる――『墨子』備蛾傅
②原文:瞻彼中林 侯薪侯蒸
 訓読:彼の中林を瞻(み)れば 侯(こ)れ薪侯れ蒸
 翻訳:あなたの森を見やれば 粗い薪・細い薪の雑木だけ――『詩経』小雅・正月
③原文:陽氣倶蒸。
 訓読:陽気倶に蒸(のぼ)る。
 翻訳:陽気がそろって立ち上る――『国語』周語
④原文:暑以蒸之。
 訓読:暑以て之を蒸す。
 翻訳:暑気が蒸し暑くさせる――『素問』五行運行大論

①はたいまつの意味、②はたきぎの意味、③は火気や熱気が立ち上る意味、④は熱気や火気で熱する(熱気がこもる)の意味で使われている。これを古典漢語ではtiәng(呉音・漢音でショウ)という。これを代替する視覚記号として蒸が考案された。
上の③の文献の注釈に「蒸は升なり」とある。tiәngという語は升のほかに上・乗・承・称・勝などとも同源で、「上に上がる」というコアイメージがある。
蒸は「烝(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」と解析する。烝は「丞(音・イメージ記号)+火(限定符号)」に分析する。さらに丞は「卩+廾+凵」に分析する。卩はしゃがんだ人。廾は両手。凵はくぼみ・へこみ。これらの符号を合わせた丞は、穴に落ちた人を両手で↰↱の形に抱えてすくい上げる情景を設定した図形。拯(すくう)の原字である。この図形的意匠によって「上に上げる」というイメージを表すことができる。丞に火を添えた烝は火気が上がる状況を暗示させる。これに限定符号の艸(草、植物)を添えた蒸は麻や木などを燃やして火気を上げるもの、すなわち上の①と②の意味を暗示させる。
意味はコアイメージによって展開する。「上に上がる」というイメージから③と④の意味に展開する。また、素材に蒸気を通す(ふかす、むす」という意味に展開する。これが蒸籠・薫蒸の蒸である。