「殖」

白川静『常用字解』
「形声。音符は直。説文に殖くさるの意味とする。歹は死者の胸から上の残骨の形。残骨は殖って骨粉となり、肥料としての効果があり、ものを生殖させるので、“ふえる、しげる”の意味となる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では直からの会意的な説明ができない(字源の放棄)。だから限定符号である歹から意味を引き出している。歹は死者の胸の上からの残骨というが、なぜ胸の上の骨だけ残るのか不思議である。死者というからには人間であろう。人間の骨を肥料にするというのも奇妙な話である。
殖は古典で次の用例がある。
①原文:同姓不婚惡不殖也。
 訓読:同姓不婚は殖ゑざるを悪(にく)むなり。
 翻訳:同姓不婚は子孫がふえないことを嫌うのである――『国語』晋語
②原文:賜不受命而貨殖焉。
 訓読:賜は命を受けずして貨殖す。
 翻訳:賜[子貢]は官命を受けないで、財貨を殖やしている――『論語』先進

①は動植物や子孫が次々にふえる意味、②は新しいものが発生してどんどんふえる意味で使われている。これを古典漢語ではdhiәk(呉音でジキ、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として殖が考案された。
殖(dhiәk)は植(dhiәk)から派生した語と考えられる。dhiәk(植)は草木をうえるという意味があり、植物をうえる→生長する→生長してどんどんふえるという意味を派生する。この派生義を表すために殖が作られた。殖は植から分化した字で、「植の略体(音・イメージ記号)+歹(イメージ補助記号)」と解析する。植は「直(音・イメージ記号)+木(限定符号)」を合わせて、木を直線状(まっすぐ)に立てる情景を設定する。「まっすぐに立てる」というイメージから、植物をうえるという意味が生まれる。歹は崩れた骨であるが、人間の骨とは限らない。朽ちて腐ったものは植物の肥料になるから、歹をイメージ補助記号として添えた。かくて殖は、腐ったものを肥料にして植物を植え、それがどんどん生長してふえるということを暗示させる。この図形的意匠によって①②の意味をもつdhiәkを表記した。