「身」

白川静『常用字解』
「象形。妊娠して腹の大きな人を横から見た形。身は“みごもる”の意味から、のち“からだ、みずから” の意味に用いる」

[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。妊娠している人→みごもる(妊娠する)という意味を導く。
言葉という視点から見ると、別の解釈ができる。古典漢語では「からだ」に三つの捉え方がある。骨骼が組み立てられている形態から発想したのが體(=体)である。胴体・四肢など各部分に分かれている形態から発想されたのが軀である。これらは解剖学的な捉え方である。一方、生理学的な捉え方がある。生命を持って生きている生身のからだという視点から発想された言葉を古典漢語ではthien(呉音・漢音でシン)という。これを代替する視覚記号として考案されたのが身である。
生身のからだは多くの内臓が詰まって活動している。だからthienという語には「中身が詰まる」というコアイメージがある。この語は孤立したものではなく、真・実・質などの仲間である。これらには「いっぱい詰まる」というコアイメージがある。
なぜ身が考案されたのか。これは字源の問題であるが、語源と密接に関わっている。一般に字源だけでなく語源を究明しないと漢字の成り立ちの説明は不十分である。thienを代替し再現するには「中身が詰まっている」というイメージを図形に表現する必要がある。かくて身が考案されたが、身は腹の膨れた女性を描いている。直ちに「妊娠する」という意味を引き出すのが古来の通説だが、「中身が詰まる」というイメージを表すための図形的意匠(図案、デザイン)と考えるほうがよい。妊娠も中身(胎児)がこもった状態だが、生身のからだそのものが上記の通り内臓の詰まったものだからである。
古典における身の用例を見てみよう。
①原文:我聞其聲 不見其身
 訓読:我其の声を聞くも 其の身を見ず
 翻訳:その人の声は聞こえるけれど 彼の身は見えぬ――『詩経』小雅・何人斯
②原文:有殺身以成仁。
 訓読:身を殺して以て仁を成す有り。
 翻訳:[志士・仁人は]生命をなくしても仁を全うしようとするものだ――『論語』衛霊公
③原文:吾日三省吾身。
 訓読:吾日に三たび吾が身を省みる。
 翻訳:私は一日に三回自分自身を反省する――『論語』学而
④原文:大任有身
 訓読:大任身有り
 翻訳:大任[人名]はみごもった――『詩経』大雅・大明

①は生身のからだの意味、②も生きている身体だが、社会的存在としての身体(地位・身分・一生涯)の意味、③は我が身(自分自身)の意味、④は胎児をみごもる意味である。
④も非常に古い用例だが、有身は中身(胎児)が有ることだから、①からの転義と考えてよい。②③は生きているからだの特別な在り方(社会と個人の視点に立つ)である。
日本人は身になぜ「み」の訓を当てたのか。実は日本語にも身体の捉え方に違いがある。「生命のこもらない形骸としての身体」が「からだ」、「生命のこもった肉体」が「み」である(『岩波古語辞典』)。身と「み」はぴったり対応する。