「津」

白川静『常用字解』
「形声。音符は𦘔。𦘔は辛器(入れ墨をするときに使う針)で皮膚を刺し、そこから津液(血の混じった液)がしみ出る形である。津は津液がしみ出ることをいう字であるが、金文に淮と舟とを組み合わせた形の字があり、この字は津と音が同じであったので、津を“渡し場、つ”の意味に用いるようになったのであろう」


[考察]
「筆」の項で「聿が筆のもとの字」とある。本項で辛器とするのは不統一である。津液を「血の混じった液」とするのもおかしい。津液は汗や唾などの体液である。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、会意的にも不十分な字源説である。形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉え、語源的に意味を説明する方法である。
古人は「津は進なり」と語源を捉えている。体内から進み出る汁が津だという(『釈名』)。汗や唾などがこれである。一方では、渡し場の意味がある。これは語史が古く次の用例がある。
 原文:使子路問津焉。
 訓読:子路をして津を問はしむ。
 翻訳:[孔子は]子路に渡し場を問わせた――『論語』微子

津は渡し場の意味が古い。日本語の「つ」に当たる。渡し場は舟を進めて川を渡る所であるから、この意味も「進む」というコアイメージから来ている。体液と「つ」が同じ言葉であるのはコアイメージが共通だからである。面白いことに日本語の「つ」は渡し場の意味のほかに唾という意味がある。日本語も渡し場と唾(体液)が同じ言葉である。これは偶然であろうか。
津は「𦘔(シン) (音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。𦘔は「聿(ふで)+彡(しずくの形)」を合わせて、筆からしずくが滴り落ちる情景を設定した図形。津は水分が滴り出る状況を暗示させる。この意匠で汗や唾などの体液を暗示させている。
渡し場を津で表す前に古文(篆文より古い字体)があった。これは「隹(進の略体。音・イメージ記号)+舟(イメージ補助記号)+水(限定符号)」であった。この図形は舟を進めて水を渡る情景を設定したもので、「渡し場」を暗示させている。この字体はやがて津に統合され、古文の字体は廃字となった。