「神」
正字(旧字体)は「神」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は申。申は稲妻(電光)の形。稲妻は天にある神の威光のあらわれと考えられたので、申が神のもとの字である。申がかみ以外の“もうす” などの意味に用いられるようになったので、祭卓の形の示を限定符(偏・旁など。部首)として、神の字となった」

[考察]
申は甲骨文字では十二支の一項(第九位)に用いられている。これは「長く伸びる」というコアイメージに由来する命名である。これがなぜ「もうす」という意味になるのか。白川は954「申」で「稲妻は屈折しながら斜めに走るものであるから、“のびる”の意味となり、また“かさねる、もうす”の意味に用いる」という。前半はその通りであるが、後半はなぜ「のびる」から「かさなる、もうす」に転義するのは筋道がはっきりしない。
白川漢字学説は言葉という視点がなく、言葉の深層構造を求めることがないから、コアイメージという概念もなく、したがって意味展開を説明する理論を欠く(申の意味展開については954「申」を見よ)。
神においてもコアイメージを捉える必要がある。稲光は雷を伴い、雷神という信仰を生み出したであろうことは想像に難くない。だから自然界における人知で図りがたい存在を神シンと呼んだと考えられる。神にどんなコアイメージがあるのか。
古人は「神は申(伸びる)なり」「神は信(伸びる)なり」という語源意識を持っていた。稲妻は雨を予想させる。雨は植物の生長を予想させる。こんな連想から、植物を伸ばし生長させる不思議な力をもつ存在として神が捉えられた。
神は「申(音・イメージ記号)+示(限定符号)」と解析する。申をストレートに稲妻と見れば雷神ということになるが、実体をストレートに重視しないで、形態や機能を重視するのが漢字の造形原理である。申は「長く伸びる」というコアイメージを表す記号である。上記のように、万物を伸長させる力をもつ超自然の存在という考えをこの図形で暗示させた。この意匠によって「かみ」を意味する古典漢語dien(呉音でジン、漢音でシン)を表記した。

ちなみに白川は示を限定符としている。この用語を使ったのは本項が初めてである。しかし限定符を部首と同一視している。部首と限定符号は同一ではない。部首は漢字を整理するときの操作概念である。神や祭は示を共通にもつので示という部を立て、これに神や祭を所属させる。単に分類するだけである。これに対して限定符号は漢字の構成法に関する概念である。漢字(実は漢語)の意味がどんな領域・分野と関わっているかを指定するのが限定符号である。ただし限定符号には三種類ある。①カテゴリー(範疇)を指示する場合。鯉の魚は魚というカテゴリー(上位概念)である。②意味領域を指示する場合。植(うえる)の木は草木と関わる意味領域である。③図形的意匠を設定する場合。状の犬は犬と関わる場面や情景を設定し、図形的意匠を作る。比喩的限定符号もこれに属する。このような限定符号は意味に含まれない。
部首と限定符号の違いはこんなところに現れる。例えば、交や京の亠(なべぶた)は部首であっても限定符号ではない。屬(=属)は尸が部首になっているが、尾が限定符号である。字書に尾の部首はない。このように字書の部首にない限定符号もある。部首と限定符号は同じではない。ただしかち合っているものある。例えば水(氵)の部首はたいてい①~③の限定符号とかち合う。