「浸」

白川静『常用字解』
「形声。音符は𠬶。𠬶は帚(箒の形)を手(又)に持つ形で、寝殿の中を、帚に香りをつけた酒をふりかけ、帚を振って祓い清めることを示す。その酒気がしだいに寝殿の中にしみわたり、酒気に浸って清められていくことを浸という」


[考察]
解字と意味の取り方の疑問については959「侵」でも述べた。「帚+又」という単純な字形から、なぜ寝殿や酒が出るのか分からない。「帚(ほうき)+又(手)」からは「掃く、掃除する」という情報しか出ないだろう。浸に「酒気に浸って清められる」といった意味はない。
字形から意味を読み取る方法は恣意的になりがちである。意味から字形を考えるという逆転の発想が必要である。言葉という視点に足場を置き、「意味→字形」の方向こそ漢字を理解する正しい筋道である。
まず浸の意味を古典の文脈から確かめる。浸は次のような文脈で使われている。
①原文:有洌氿泉 無浸穫薪
 訓読:洌たる氿泉キセン有り 穫薪を浸す無かれ
 翻訳:山の冷たい湧き水に 刈りたてのたきぎを濡らすな――『詩経』小雅・大東
②原文:滮池北流 浸彼稻田
 訓読:滮ヒュウたる池北に流れ 彼の稲田を浸す
 翻訳:池の水がするすると北に流れ 稲の畑を水浸しにする――『詩経』小雅・白華

①は水が段々としみ込む意味、②は水につける(水にひたる)の意味である。これを古典漢語ではtsiәm(呉音・漢音でシム)という。これを代替する視覚記号として浸が考案された。
古人もすでに「浸は侵なり」という語源意識をもっていた。侵だけではなく沁・滲とも同源で、これらは「じわじわと(段々と)入り込む」というコアイメージが共通である。
浸は「𠬶(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。𠬶については959「侵」でも述べているが、再び述べると、𠬶は「帚+又」を合わせたものだが、単独字としては存在しない。侵・浸・寝などの音・イメージ記号として特別に作られた記号である。帚は箒(ほうき)、又は手の動作に限定する符号である。𠬶は箒を手にして掃き進める情景を設定した図形。ただし「掃く」という意味を表すのではない。「掃く」という行為のある面に焦点を置くのである。箒でさっとはらうのではなく、ごみや汚れのある空間の端から段々と全体に(終点まで)掃き進めていくことである。ここに「次第に(じわじわと)深く入り込む」というイメージがある。このイメージを表すのがAである。かくて浸は水が物の内部にじわじわと入り込む状況を暗示させる。