「真」
正字(旧字体)は「眞」である。

白川静『常用字解』
「会意。匕と県けんとを組み合わせた形。匕は人を逆さまにした形で、死者の形。県は首を逆さまに懸けている形で、顚死者、不慮の災難にあった行き倒れの人をいう。真は死者で、それはもはや変化するものではないから、永遠のもの、真の存在の意味となり、“まこと”の意味となる」

[考察]
字形分析に疑問がある。匕は化の右側と似ているから、ひっくり返った人の形にも見える。しかし眞の下部は県(縣の左側)とは形が違う。字形分析を誤ったから、字形から引き出された意味も変なものになる。真に死者という意味はないし、死者→永遠のもの→真の存在→まことという意味展開も不合理である。
字形から意味を導く方法に問題がある。ここには言葉がすっぽり抜け落ちている。だから意味展開に合理性がない。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。真は次のような文脈で使われている。
①原文:其中有精、其精甚眞。
 訓読:其の中に精有り、其の精甚だ真なり。
 翻訳:その[宇宙の始まりのカオスの]中に精気があった。その精気は真実の存在であった――『老子』第二十一章
②原文:脩之於身、其德乃眞。
 訓読:之を身に脩むれば、其の徳は乃ち真なり。
 翻訳:これ[道]を身に修めれば、徳[体得した道]は純粋である――『老子』第五十四章

①はある物事に関してうそ・偽りがない(本当、まこと)の意味、②は本来的である(ありのまま)の意味である。これを古典漢語ではtien(呉音・漢音でシン)という。これを代替する視覚記号として眞が考案された。
古典では「真は実なり」「真は身なり」と説かれている。実にも身にも「中身がいっぱい詰まる」というコアイメージがある。真もこのコアイメージから実現される語である。中身が確かにあって空っぽではない事態が「まこと」である。内容が空っぽな状態が虚(偽り、うそ)である。
眞は篆文の字体だが、金文に遡ると「匕+鼎」と分析できる。具の目の部分は鼎の目だけが残った形だが、眞では鼎の脚の部分も変形して残っている。則の貝も鼎の変形で、眞の下部と似ている。匕はいくつかのヴァリアントがあり、匕首(あいくち)では小刀だが、匙(さじ)ではスプーンの形である。鼎にはナイフやスプーンが付き物である。眞ではスプーンと見たい。スプーンで鼎に素材を入れる情景を設定したのが眞である。この図形的意匠によって「中に詰め込む」「中身が詰まる」というイメージを表すことができる。かくて、中身がいっぱい詰まって空っぽではない状態、中身があって噓や偽りのない状態を眞の図形で暗示させ、上記の意味をもつtienの表記とした。