「寝」
旧字体は「寢」である。

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は㝲に作り、夢の省略形と寢とを組み合わせた形。夢は夢魔で、睡眠中に夢魔に襲われ、病んでねることを㝲といい、“ねる”の意味となる。甲骨文字・金文では𡨦に作り、“みたまや”の意味となる。𡨦に爿(寝台の形)を加えた寢は“ねる”の意味に用いられる」


[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。夢(夢魔)+寢→睡眠中に夢魔に襲われて病んで寝るという意味を導く。一方、寢は𡨦(みたまや)+爿(寝台)から「ねる」の意味を導く。
字形から意味を導くと夢魔に襲われて病臥する意味かまたはみたまやで寝る意味になる。
意味は字形から出るものだろうか。言語学の定義では言葉(記号素)は音と意味の結合したもので、意味は言葉に内在する概念である。聴覚的な言葉を視覚的な図形に換えたのが文字である。意味は聴覚的な言葉にあり、文字にはない。漢字は意味のイメージの図形化を原理とする視覚記号システムであるが、意味を全面的に表現することはできないし、近似的であり、アバウトなものである。だから字形の解釈をもって意味とすることはできない。
漢字を見る見方は、言葉から出発し、言葉のコアイメージを捉えて意味を説明し、その意味がどのように図形化されたかを説明するのが正しい筋道である。「字形→意味」の方向ではなく、「意味→字形」の方向に見るという逆転の発想が必要である。
古典で寢の意味を確かめるために用例を調べる。
①原文:言念君子 載寢載興
 訓読:言(ここ)に君子を念ふ 載(すなは)ち寝(い)ね載ち興く
 翻訳:一途に思うは我が夫 もう眠ったかまだ起きているか――『詩経』秦風・小戎
②原文:乃生男子 載寢之牀
 訓読:乃(すなは)ち男子を生む 載(すなは)ち之を牀に寝(い)ねしむ
 翻訳:男の子が生まれたら ベッドの上に寝かせる――『詩経』小雅・斯干

①は段々と眠りに就く(寝入る、寝つく)の意味、②はベッドに横になる(ふせる)の意味で使われている。これを古典漢語ではts'iәm(呉音・漢音でシム)という。これを代替する視覚記号として寢が考案された。
寝(ねる)と眠(ねむる)は何が違うか。眠は瞬間的だが、寝は睡眠状態になるまでの過程である。段々と睡眠に入っていくことが寝である。これが①の意味であり、だからこそ②の意味にも転義する。
ts'iәm(寝)という語の深層にあるのは「段々と(次第に)入り込む」というコアイメージである。瞬間的(一気に)入るのではなく、段階を追って(次第に)入っていくのである。
ts'iәmに対する視覚記号は字体がいくつか変わった。𡨦→寑→㝲→寢と変わるが、変わらないのは𠬶(侵の右側)である。𡨦は「𠬶(音・イメージ記号)+宀(限定符号)」、寑は「𡨦(音・イメージ記号)+人(限定符号)」、㝲は「𠬶(音・イメージ記号)+㝱(イメージ補助記号)」、寢は「𡨦(音・イメージ記号)+爿(限定符号)」または「𠬶(音・イメージ記号)+爿(イメージ補助記号)+宀(限定符号)」と解析する。これらに共通する𠬶は侵・浸とも共通の記号で、「じわじわと深く入り込む」というイメージがある(959「侵」、966「浸」を見よ)。𡨦と寑は深く入り込む部屋のことで、寝室や寝殿を暗示させる。㝲は㝱(=夢)が睡眠現象を連想させるから、「寝る」を暗示させる。寢もベッドを補助記号とするから「寝る」を暗示させる。𠬶は「じわじわと深く入る」というコアイメージを示す記号であり、ベッドに横になって段々と眠りに入る情景を寢の図形で暗示させている。