「甚」

白川静『常用字解』
「象形。煮炊きする鍋を上にかけている置竈の形。置竈で十分に煮炊きすることから、“はなはだ、はなはだしい、はげしい” の意味となる」

[考察]
甚を煁ジン(携帯用のかまど)の原字と見るので、甚を置き竈の形と解したようである。甘は鍋に見えないことはないが、その下部は竈の形にはとうてい見えない。象形説は疑問である。また、置き竈で十分に煮炊きすることから、「はなはだ」の意味になったというが、この意味展開には必然性がない。
字形から意味を導くのは無理である。意味を知るには文脈しかない。古典における甚の用例を見てみよう。
①原文:旱既大甚 則不可沮
 訓読:旱既に大いに甚だし 則ち沮むべからず
 翻訳:日照りは今やひどいありさま もはや止めることはできぬ――『詩経』大雅・雲漢
②原文:其室則邇 其人甚遠
 訓読:其の室は則ち邇(ちか)し 其の人は甚だ遠し
 翻訳:彼女の家は近いのに 彼女との距離はとても遠い――『詩経』鄭風・東門之墠

①は程度が大きい(はなはだしい)の意味、②ははなはだ(ひどく、とても)の意味で使われている。これを古典漢語ではdhiәm(呉音でジム、漢音でシム)という。これを代替する視覚記号として甚が考案された。
語源的に見ると、dhiәmという語は探・深・沈・耽・淫などと同源である。これらは「深く入り込む」というコアイメージがある。このコアイメージから物事の程度が深まって、限度を超えた状態になるという意味が生まれる。
次は字源を見る。甚は「甘+匹」に分析できる。甘は「あまい」という味覚を表す言葉である。匹は男女のカップルの意味があり、性的な感覚につながる。甚はカップルが甘い性欲に耽るという場面を設定した図形である。「甘い」を別の感覚に転換させるのは共感覚メタファーである。この図形的意匠によって「深入りする」というイメージを暗示させ、程度が深くなることを意味するdhiәmの表記とした。
ちなみに『説文解字』に「甚は尤も安楽なり。甘に従ひ、匹に従ふ。耦なり」とある。カップルの楽しみの意味といった解釈である。これは字形の解釈をそのまま意味とする誤りである。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説だけではない。