「尋」

白川静『常用字解』
「会意。左と右とを組み合わせた形。左は左手に呪具の工を持つ形。右は右手にᄇ(祝詞を入れる器の形)を持つ形。神に祈るとき、工とᄇを持った両手で舞いながら神のあるところを求め尋ねるのである。神を“たずねる” の意味となる」

[考察]
尋の字形分析を「左+右」の組み合わせとしたのは王廷鼎(中国の文字学者)が最初で、日本の加藤常賢も同じような説を唱えている(『漢字の起源』)。これは千古の蒙を啓く卓見である。白川独自の説ではない。ところが白川は神に祈ることと絡めて「神を尋ねる」の意味としている。いったい神(のあるところ)を尋ねるとはどういうことか。こんな意味が尋にあるのか。
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。尋は古典で次の用例がある。
①原文:是斷是度 是尋是尺
 訓読:是れ断ち是れ度(はか)る 是れ尋是れ尺
 翻訳:木を断ち切って長さを計る 尋の長さに尺の長さに――『詩経』商頌・閟宮
②原文:思利尋焉。
 訓読:利を思ひて尋ぬ。
 翻訳:利益を得たいと探ってみる――『墨子』修身

①は長さを計る単位(八尺)、②は探り求める意味で使われている。これを古典漢語ではziәm(呉音でジム、漢音でシム)という。これを代替する視覚記号として尋が考案された。
『説文解字』に「人の両臂を度るを尋と為す」とあるように、両腕を広げた長さである。両腕を広げて∧∧∧・・・の形に段々と計っていく動作から生まれた語がziәmである。この動作には「前のものの後を継いで段々と進む」というイメージがある。藤堂明保は尋は深・探・沈・甚などと同源で「奥深く入り込む」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。奥(底・最終点)へ向かって進むから、右のイメージの更なるコアには「奥深く入り込む」というイメージがあると考えてよい。
字源は上記の通り「左+右」の組み合わせである。尋の「⺕(=又)+工」が左、「寸(=又)+口」が右で、左と右をばらしてパズル的に配置換えした図形となっている。この意匠によって左右の両手で長さを計ることを暗示させる。
「前のものの後を継いで段々と進む」というイメージから、段々と後をたどっていく意味、また、段々と探り求める意味(上の②)に展開する。尋問の尋(問い尋ねる)という意味はない。これは日本的展開である。