「衰」

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は衣と冉とを組み合わせた形。死者の衣の襟もとに冉形の麻の喪章をつけた形で、“もふく” の意味となる」

[考察]
衣がなぜ死者の衣なのか、冉がなぜ麻の喪章なのか。喪服を予想して、字形を勝手に解釈したとしか思えない。
意味は字形から出るものではなく言葉の使われる文脈から出るものである。衰は古典に次のような用例がある。
①原文:譬如衰笠、時雨既至、必求之。
 訓読:譬へば衰笠サリュウの如し、時雨既に至れば、必ず之を求む。
 翻訳:たとえると蓑や笠のようなものだ。俄雨が降ると必要になる――『国語』越語
②原文:甚矣、吾衰也。
 訓読:甚だしいかな、吾の衰へたるや。
 翻訳:何ともひどいものよ、私の老衰ぶりは――『論語』述而
③原文:見齊衰者、雖狎必變。
 訓読:斉衰シサイの者を見れば、狎れたりと雖も必ず変ず。
 翻訳:[孔子は]喪服を着た人に出会うと、親しい人でも必ず態度を変えた――『論語』郷党

①はみのの意味(現在のテキストでは蓑になっている)、②はおとろえる意味、③は喪服の意味で使われている。古典漢語では①をsuar(呉音・漢音でサ)、②をsïuәr(呉音・漢音でスイ)、③をts'uәr(呉音でセ、漢音でサイ)という。これらを代替する視覚記号として衰が考案された。
『説文解字』に「衰は草雨衣なり」とあり、これが定説になっている。古文の字体は端の垂れた雨具を描いた図形で、冉が草などの端が垂れ下がった形である。篆文では冉に衣を添えたもの。だから衰は「冉(イメージ記号)+衣(限定符号)」と解析する。
衰は後の蓑(みの)の原字であるが、なぜ「おとろえる」と「喪服」の意味があるのか。これらは少しずつ音が変わるが、コアイメージは変わらない。それは蓑の形態的イメージから捉えられるものである。蓑はスゲなどの茎や藁を編んで裾を乱雑に垂らした雨具である。ここから「垂れ下がる」というイメージが生まれる。suar(蓑)という語は垂・妥・朶・堕などと同源で、これらも「垂れ下がる」というイメージがある。乱雑に垂れることから「形が崩れる」というイメージにも転化する。
意味はコアイメージによって展開する。「垂れ下がる」「形が崩れる」というコアイメージから、段々と形が崩れて力や勢いが弱く小さくなるという意味が実現される。これが上の②である。また、端をそろえず形が整っていないというイメージにも転じ、ぞんざいに作った喪服という意味を派生する。これが上の③である。
白川は「葬儀のときは平生行う礼を減衰する(へらす)ので、衰は“よわまる、おとろえる”の意味となる」と述べているが、この意味展開には必然性がない。白川漢字学説には言葉の視点もコアイメージという概念もないから、合理的に意味を説明する理論を欠く。