「省」

白川静『常用字解』
「形声。音符は生。のち生が少の形となる。それで生・少の二音があるが、生・少は本来は眉に飾りを加えた形ではないかと思われる。目の呪力を強めるために眉飾りをつけることが多いからである。その呪力のある目で巡察すること、見まわることを省という」

[考察]
疑問点①「生・少の二音がある」というが、古典漢語では生はsïeng、少はthiɔgであって、全く違う。②生・少は「眉に飾りを加えた形」というが、「生」では「草の生え出る形」、「少」では「小さな貝を紐で綴った形」とある。③「目の呪力を強めるために眉飾りをつける」とはどういうことか。理解し難い。④「その呪力のある目で巡察する」という意味が省にあるだろうか。そんな意味はあり得ない。
形声の説明原理がないこと、字形から意味を引き出すことが白川漢字学説の特徴である。その結果図形的解釈と意味を混同することも白川漢字学説の大きな特徴である。
意味はどこにあるのか。意味は「言葉の意味」であって、言葉が使われる文脈にあることは言語学の常識であろう。省は古典で次の文脈で使われている。
①原文:帝省其山
 訓読:帝其の山を省(み)る
 翻訳:上帝はその山を篤とご覧になる――『詩経』大雅・皇矣
②原文:吾日三省吾身。
 訓読:吾日に三たび吾が身を省みる。
 翻訳:私は一日に三たび(何度も)自分を反省する――『論語』学而
③原文:省刑罰。
 訓読:刑罰を省く。
 翻訳:刑罰を減らす――『孟子』梁恵王上

①は物事をはっきりと見分ける(事細かに見る)の意味、②は細々と振り返ってみる(かえりみる)の意味、③は分けて減らす意味で使われている。古典漢語では①②をsieng(呉音でシヤウ、漢音でセイ)、③をsïeng(呉音でシヤウ、漢音でセイ)という。これらを代替する視覚記号が省である。siengとsïengの違いは微妙であるが、現代中国語で前者がxĭng、後者がshěngとなっており、違いが明瞭である。
漢字を見る場合、字体の変化に対する注意が肝心である。語源意識の変化、意味の変化に応じて字体が変化することがある。省は眚から省に字体が変わった(古典の文献では省に統合された)。
まず眚について。「生(音・イメージ記号)+目(限定符号)」と解析する。生は「汚れがなく澄む」というイメージがある(1013「生」を見よ)。このイメージは「くもりがなくはっきりする」というイメージに展開する。眚は物事をくもりなくはっきり見分ける状況を暗示させる。この図形的意匠によって上の①の意味をもつsiengを表記する。
次に省について。①②には「細かく分ける」というイメージがある。これは「細かく分けて削る」というイメージにもなりうる。ここから「分けて減らす」、つまり「はぶく」という意味が生まれた。これが③である。この意味変化に対応して省の字体に変わった。生を少に替えて「少(イメージ記号)+目(限定符号)」となった。少は「そぎ取る」「削る」というイメージがある(874「少」を見よ)。ただし目の限定符号は意味領域の指定とは関わりがない。眚の生だけを変え、目を残したものである。
白川は「巡察することから“かえりみる、みる”の意味、巡察して取り除くべきものを取り去ることから、“はぶく、へらす”の意味となる」と説明しているが、意味展開に必然性がない。